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2005/10/31

夕方の三十分

詩のこころを読む
茨木 のり子著
岩波書店 (1980)
通常24時間以内に発送します。

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2005/10/30

砂場にて

うちの6歳の娘には、親友がいる。相手は3歳上のおねえちゃんなのだが、二人はとても気が合う。教会の牧師さんの娘さんなので、日曜ごとに教会で二人は会って、毎回のように意気投合し、楽しく遊ぶ。

今日二人が熱中したのは、砂場遊び。隣にはもうすぐ収穫する育児サークルのさつま芋畑があり、そこから湧いてくる縞々のやぶ蚊にさされながら、飽きずに砂いじりする二人。

「は~い、ピザのお届けですよ!」「は~い、今度はチョコレートケーキですよ!」と楽しそうに親のほうにやってくる。もう帰ろうね、と声をかけても一向に終わらない遊び。しまいには「きゃ~!!」と大騒ぎ。何事かと思ったら、この長雨で栄養が十分だったのか、材木の隙間からにょっきり大きなきのこが生えていた。

こういうたわいもない時間が、後から考えるとぴかぴか輝く宝物になるのだろう。ひとつひとつは思い出せないようなことの積み重ねでも、一緒に過ごしたこの時間の重み。子どもっていいなあ、とうらやましい気持ちになった。

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♪遠き山に日はおちて

息子が一泊のキャンプに出掛けていった。今晩はキャンプファイヤー、明日は山登りだそうである。

ところがおとといの夜、息子の眼の上がうっすら赤くて元気がないことに気づき、熱をはかったら少しあったので心配した。ゆっくりやすませ、昨日も予定を変更して、私と二人で過ごした。そして、ひとつ持ち物で足りないものがあったので二人で買い物に行き、昼ラーメンをすすっていたときにポツリ。「実は昨日けんかした。」と。

今まで親切にして家にも呼んであげていたクラスメートが、最近わがままがひどくなり、息子のことを「うざい」と言って、あからさまに毛嫌いするようになったそうだ。そして、昼休みの後の掃除の時間に、ルールを破ってぞうきんがけでなくみんなのしたがる箒掃除だけをその子がするので注意したところ、箒の柄で頭を殴られ拳骨で顔を殴られ、靴を履いた足でたくさん蹴られたということ(夜になってお風呂で点検したところ、たんこぶや痣がいっぱいみつかった…)。ところが息子は、こんなやつに謝りたくないから、無抵抗を続けたというのである。先のことまで考えて、相手を悪者にしようとしたのか?と私の頭には疑問符がいっぱい。

結局は保健室のお世話になり、みんなにうながされてその問題児も一言謝ったそうだが、許してやるものか、絶対に、と息子の怒りは大きい。なんとキャンプで同じ班だという。今まで仲良しのつもりだったのに冷たくされたり、いきなり暴力をふるわれたり、これまた痛かったりで、ショックが大きい様子。私はまずは話してくれてありがとうと言い、同じ相手に同じ方法でかかっていったってまた同じことになるから、今度は違う方法でやるなら注意しなさいね、と声をかけておいた。先生に午後にたまたま会ったので事情を聞くと、相当息子が泣きじゃくっていたとのこと。昨晩も結局頭がさえて、その話の続きをしていた息子、結局寝不足のまま先ほど出掛けたのであるが、はたして無事に帰ってくるだろうか?

多分大丈夫だと思うけど、ちょっと心配な母である。

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2005/10/29

遠藤周作『おバカさん』

遠藤周作の『おバカさん』を読んだ。この間の礼拝説教の題が「どこまでもおバカさん」というもので、内容を聞いてみると、遠藤周作のこの本からヒントを得たことがわかったので、これは読む価値あり、と思ってのこと。

おバカさん (角川文庫 緑 245-2)おバカさん (角川文庫 緑 245-2)

角川書店 1962-08
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この小説は、1958年の新聞小説。文庫本になったのも1962年というから、私の生まれる前のことである。東京にフランスからやってきた正体不明のナポレオンの末裔というガストンという男を、かつて文通相手だった男とその妹が東京を案内して歩く話。馬のような風貌なうえに何をしに日本に来たのかもわからぬうだつのあがらぬフランス人に、妹のほうは幻滅を感じる。しかしこの男、野良犬やかわいそうな人にばかり興味を示し、心優しく、殴られれば殴り返さず、かえってその相手に深い哀れみを感じたりするのである。

まさに、イエス・キリスト。最後には、南方の島で上官の嘘のため罪を着せられた兄の復讐を果たすためにある男を殺そうとしている遠藤という男と知り合う。そして彼に罪を犯させないために、命を落とすのである。

物語では、初めはガストンを馬鹿だと思っていた妹も、途中で考えが変わってくる。

素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けていく人間は、今の世の中ではバカにみえるかもしれぬ。だが彼はバカではない……おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。

このくだりが、この小説のいわんとするところなのであろう。

最後になったが、この小説では舞台となる東京・渋谷でも、星が降るほど見えたようなので、私の生まれた頃はまだ都会でも星空がきれいだったのだなあ、と私は思ったのだった。

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2005/10/28

塩焼きそば

今日は張り切って仕事帰りに2駅分自転車こいで図書館にゆき、9冊も本を借りた。疲れてはいるが、好きなことは我慢できない。今日のお目当ては、『ハリーのだいかつやく』。どろんこハリーシリーズを毎晩読んでいて、今日は4日目。うちにない最後の一冊を探しに図書館へ行ったのだが、それは絵本サイズではなく、普通の本であった。ハリーのだいかつやく挿絵はあるしやさしい内容なんだけど、はじめてひとりで読む本ということ。なるほど~。そのほかに、ちょっと気になる本を借りてきた。

彩花がおしえてくれた幸福(しあわせ) と 童謡詩人金子みすゞの生涯

家に帰るともう真っ暗。娘をそれからインフルエンザの予防注射に連れてゆく。娘は我慢強いので、不安だったようだがそこは頑張って泣かなかった。エライな~。

ということで、夕飯は手抜きをして、塩焼きそばを作った。ソース焼きそばと違って、なかなか美味しい。家族に好評で、疲れも吹き飛んだ。上機嫌の私。さあ今晩は、絵本三昧。子どもが寝たあとは、読書三昧。楽しみ、楽しみ。

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2005/10/27

雨あがる

IMG_0044 雨が止みました。

青空が見え、きれいに雲が広がっています。

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2005/10/26

♪さよならハリケーン

今日は仕事でどんより疲れた。苦手なことが目の前にあり、懸命にこなそうとするのだけど遅々として進まず。やっとできた!と思ったら迂闊なミスが見つかってやり直しとか…。結局明日も仕事の残りをすることになった。は~。そうすればなんとか一区切りできそうだけど、もう私はへとへと。そんなわけで鬱々と帰途についたが、忙しい。そういえば、インフルエンザの予防注射をしに医者に行かなければならなかったのだ。息子の予定が空いている今日のうちに済ませないと、学校行事があったりして10月中に受けられそうもない。帰宅してから早々に二人して注射に出掛けた。痛~っ!!

全く嫌なことばっかり、と落ち込んだけど、気分転換にパソコンを開き、そういえば昨日からメールチェックしてないわい。見てみたら、あったかほのぼのメールが届いていた。昔私がどん底に落ち込んでいた時、家に招き眼が飛び出るようなご馳走でもてなしてくれたまるこさんからのもの。たまにしか近況をやりとりしないのだけど、なんだかいつもタイミングがよくて、私は励まされっぱなしである。ご厚意に甘えてばかりで気がひけるが、私はいつも心から感謝しているのである。今回も、こんなに凹んでいる日に嬉しいメール。ということで、私は甦った。

しばらくユーミンREINCARNATIONばかり車中で聴いていたので、同じくユーミンのALARM a la mode にCDを換えた。雨が降る中このアルバムを聴くと、雨のうたが続いてムードがぴったり。大分気も楽になってきたぞ~。娘のお迎えやら買い物やらも、打って変わってうきうきした気分。

息子はこのごろ読書づいて、夜になって先日ここに紹介した『佐賀のがばいばあちゃん』を読んで笑い声をあげている。よしよし。私もまた本を2冊読んだので、明日からその記事をアップするとしよう。嫌な気分よ、ハリケーンのように飛んでゆけ。♪さよならハリケーン。

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2005/10/25

ああ・恥ずかしい

甥の野球チームがブロック優勝したのをお祝いしようと、昨晩は鰻を買ってご飯に載せたら、すごい売れ行き。ご飯はあっという間に無くなった。それでうっかり一晩寝てしまった私。

久しく使っていないパン焼き器でパンを、なんて思いついたのを忘れていたので、朝になったら何も主食がない。しまった!!私はコンビニに自転車を走らせて、買って来ましたロールパン。このところコドモタチが気に入っている絵本から思いついた朝ごはん。へんなひとかぞえうたのところで、ロールパンほどいて食べる人とか、納豆を洗って食べる人とか出てくるんだよね。うふふ。(岸田衿子・スズキコージ『かぞえうたのほん』)

<オンライン書店ビーケーワン:かぞえうたのほんp>

もう、朝から忙しいんだから、と大急ぎでその他支度を済ませ、最後に鏡の前でお化粧。ブラシで髪をとかそうとしたら……。気が付きました、私は。ピンクのカーラーを後頭部に巻いたままだったことに。

さっきのおでかけで、コンビニの店員さん、甥の友だちにも会ったっけ。ああ。恥ずかしい。顔から火が出るとはこのこと。長男はあまりの私の落ち込みように、いつもならからかうところだが、声をかけずに出掛けていった。ああ。ああ。恥ずかしい。

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2005/10/23

『向田邦子の恋文』

オンライン書店ビーケーワン:向田邦子の恋文

タイトルにひかれて読んでみた。51歳で飛行機事故で亡くなってから、20年。9歳下の妹が遺品のなかにあった恋人N氏と邦子の間に交わされた手紙や日記を、ようやく公開することにし、それにともない幾つかの小文を載せている。

ああ、向田邦子を支えていた秘めた恋とは、こういうものだったのか、という感想。こんな男とこんな女の物語があったのだ。妻子あるカメラマンの恋人になり、被写体として残された写真の、なんと美しいこと。その人は後に家庭から離れられそうになったけど、脳の病気で体が不自由になり、2年後自殺してしまう。遺された向田邦子は、その悲しみを力に換えて、優れた作品を世に出し続けた。

なぜだか読み終わって、あまり気持ちがよくない。姉が誰にもわからないように秘密にしていた恋だったのだから、そのまま秘密にしておいて欲しかったような気もする。美しい写真のわけがわかって、なるほど、という気持ちももちろんあるのだが。

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ヒヨドリ

ヒヨドリの声がした。ヒヨドリなんて一年中いるみたいだけど、この時期この鳴き声を耳にすると、「秋だなあ。」と私は思う。

ふと見ると、池で水浴びしているヒヨドリ君。そのうち水浴びするには冷たい冬が来るんだよ。

秋の気持ちのよい澄んだ空気とヒヨドリの声は、とても似合う。穏やかな秋の陽だまりが、やがて木枯らしに蹴散らかされるまでは、もうしばらくあるのだなあ。

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2005/10/22

♪Happy Birthday

今日は父の少し早い誕生祝いをするために、施設に出掛けた。父の施設は電車を乗り継いで1時間ほどのところにある。最近膝の痛みが強くなった母をいたわりながら、階段を上ったり降りたり。駅にはお義姉さんが車で迎えに来てくれたので助かった。父の部屋には、兄が小さい女の子を3人連れて到着していた。子ども達はうちの子達と仲良しなので、一緒になって遊び始める。今日のメインは、お昼ご飯である。

まずお義姉さんが用意してくれたシャンパンとワインで、大人は乾杯。シャンパンの泡がグラスの中でピチピチはじけて、久しぶりの会食に私はわくわくする。父も嬉しそうだ。脳梗塞で倒れて一年半。治療やリハビリを経て、この介護付老人ホームに入ったのが一年前。ようやく落ち着いて、穏やかな日々が送れるようになったところである。乾杯の後は、義姉の手作りのケーキに素敵な蝋燭をともして、♪Happy Birthday を皆で歌う。

お食事は、施設の特別室で食べることができる。今日は特別料理を頼んでいたので、私はとっても美味しくいただくことができて、大満足。かんぱちの刺身や牛のたたき、松茸のお吸い物など、家では味わえないものばかり。最後のアナゴ寿司も美味しかったなあ。

シャンパンとワインですっかり酔って、皆大人は赤い顔。父はプレゼントのラジオやクッションなどが気に入ったようで、本当によかった。滅多にお見舞いに行けないけれど、喜んでもらえたから。ハロウィンのお菓子を子ども達はお土産に持って帰る。娘は電車やバスでは疲れて居眠りしていたけど、家に着いたらそのお菓子を食べ始めている。私と母はすっかりくたびれて、何にも作る気がしない。まだお腹がすかないのだ。だけど仕方ない。何かしないと。ご飯を炊く気もしないので、豚肉と青菜と舞茸とうどんとお餅を入れたお鍋にすることにした。これならあったまるし、栄養もあり、かつ簡単!!

来年の今頃も、また元気でみんなでお祝いをできるといいな、と思う。ハロウィンの飾り付けで賑やかな、お祭り気分の10月に。

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2005/10/21

スズメバチ

今日は図書館で仕事の日。金曜日の朝は、雑誌の山がブックトラックにいっぱいできているので、時間をかけて丁寧に配架してゆく。私はこの仕事がとても好き。暖房も冷房も要らないこの季節、窓が開け放たれているから、外の風がそよそよと気持ちいい。これが一週間で一番幸せなとき。ああ、やっぱり図書館って好き……。

そのとき、唸るような不穏な音が近づいてきた。見ると開け放たれた窓から一匹のスズメバチが図書館に飛び込んできたところ。私の心拍数は一気にあがった。汗が出た。カウンターのレファレンス係に、「蜂が迷い込んできました~。どうしましょう~。」と声をかけると、そこは手馴れたもので、いつもの場所からいつものものを持って駆けつけてきてくれた。そのいつものものとは?

そう、虫取り網である。山の中にあるこの古い図書館には、しょっちゅういろんな虫が出る。ゴキブリは当たり前。ムカデのようなものや蜘蛛、蜂、蝶々、なんでもござれなのである。しかし虫の苦手な私には、ここは鬼門。先日はゴキブリに驚いて休憩室でコーヒーを思い切りこぼしてしまった。やれやれである。

しかし、スズメバチは私の知る限りでは初めて。本当に怖かった。何分かの追跡劇の挙句、とうとう網につかまったスズメバチ。頼りになる職員さんの大きな靴で、踏みつぶされてしまった。ああ、こんな建物に入ってこなきゃよかったんだよ、君は……。ということで、やっと安心して仕事の続きができたのであった。

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『佐賀のがばいばあちゃん』

漫才師のB&Bの島田洋七が書いた。貧乏だった少年時代、原爆投下の広島の母の元から、佐賀に住むおばあちゃんに引き取られた8歳の少年が、がばい(すごい)おばあちゃんと明るい貧乏生活をする話。もちろん、実話である。

私には、生まれたときからおばあちゃんがいなかった。血の繋がった祖母は二人とも他界していた。祖父も同様である。だから小さい頃、お年寄りにどう接したらよいものかわからなかった。電車やバスで席をゆずろうにも、どのくらいからが年寄りで、どのくらいの人が席に座るほどしんどいのか、まったくわからず、戸惑ったものだ。

だから、こころならずも母親から引き離され、想像を絶する貧乏生活をしているがばいばあちゃんと暮らすことになった主人公のことを、うらやましいと思う。まさに抱腹絶倒。笑いの合間に、心を打つエピソードが満載。ほろっときて涙が出ては笑い、笑いが出ては涙し、あっという間に読み終えた。とくに、スーパーマーケットの陳列棚のように食べ物やら下駄やらが流れてくる川の話とか、運動会の弁当の話は忘れられない。

物事のとらえ方次第で、人生は決まるのだ。おばあちゃんや周囲の大人や友だちに心でしっかり支えられた経験。これを豊かと呼ばずに何と言おう。お金や物でははかることのできない、本当の豊かさ。その豊かな人生をこうして人に語ることができるということ。すばらしいと思う。

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2005/10/19

オーケストラ

長かった雨もあがり、今日は傘をささずに済んだ。夜になって、夕飯の材料が足りなかったので、急いで公団の道を抜けて買い物に行く。

すると、茂みという茂みから、聞こえてくるのは、オーケストラ。

虫の声がこんなに美しいとは。なんという虫の声なのか、聞いたこともない綺麗な声。

見上げると、夜空に浮かぶうろこ雲の向こうに、うっすら明るい月が昇ってくるのが見えた。

追記: この時間になると、月は少し満月を過ぎたけれど、雲もとれて、天高く美しく輝いている。すぐ近くにあるのは、火星。

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2005/10/18

♪心のまま

ユーミンの♪心のまま。

最近車で聴いている音楽は、アルバム「REINCARNATION]。大好きな曲がずらりと並ぶ私の好きなアルバムなのだが、この中でこのところ気になるのが♪心のまま。

私は毎朝子どもたちに向かって、いけないとは思いつつ、「急いで急いで。」とせきたてている。それなのにユーミンが、~Hurry up~と歌うと、全然せかされた気分でなく、ゆったりしてしまう。

海で船を走らせている歌なのだ。心のまま。潮風をあびながら、空を見上げ、雲に愛を思う。いいなあ、こういうゆったりとした時間。私には、殆どないなあ。

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2005/10/17

読書の秋

私がメガネをかけるようになったのは、小学校の4年のときからである。ある日、黒板の先生の書いた字がとても読みづらくなったので、手を上げて、先生、黒板の字が読めません、と言った。先生の文字が小さいせいだと思ったのだ。でも違った。私の視力が落ちていたのである。原因は、読書。親戚のおばさんが、小さい頃貧乏で本を読めなかったからといって、おばあさんになってから、子ども向けの世界名作全集を買っていた。それを読み終えると、我が家にまわしてくれたのである。私は薄暗いベッドで、それを読み漁っていた。そうしているうちに、眼が悪くなったのである。

私の長男は、同じ小4。ところが本をちっとも読まない。私と寝る前に絵本を楽しむ習慣は相変わらずだが、自分からは読まない。これは困りものだ、と私は常々気にして、あれこれ勧めてみたが、息子は一向にその気にならない。ところが先日担任の先生に、作文をみんなの前で褒められたという。小説家になれるよ、これで本を読んだらもっといいよ、と言われた、と嬉しげに報告してくれた。ありがとう、先生。

先週私がセミナーを受けていて、毎晩帰宅が9時半をまわった。すると眠そうな顔で、子どもたち二人は待っていた。もう寝てればいいのに、というのだが、やはり私の顔を見ないと眠れないらしい。息子は妹に絵本を何冊も読んでやり、妹が眠くなると今度は自分は、ハリーポッターを読みふけった。今も、以前ならだらだら眺めていたテレビをさっと消して、本を読みに2階へあがった。読書の楽しみに、出会ったようだ。きっかけがあれば、子どもって変わるものなんだなあ。よかったなあ、とつくづく思う。

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2005/10/16

お陰さまで…

濡れて壊れてしまったたまごっち復活ならずがっかりしていたら、耳寄りな情報をいただいた。後日談まで発表して諦めていたのだが…。sadakichiさんによると、たまごっちをつくっているバンダイのおもちゃ工場で修理してもらえるらしい。

藁をもすがる思いで私が分解しても直らなかったたまごっちを栃木へ送ったところ~2週間して~修理完了。昨日元通りになったたまごっちが送り返されきた!しかも無料!!!

本当にみなさんにはご心配をいただいたうえに、いい情報を教えていただいて、ありがたいの一言である。お陰さまで直りました。しかしバンダイのメモが、たった一枚添えてあった。「たまごっちは水に弱いので、くれぐれも濡れた手で触らないようにしましょう。」

は~い、わかりました。味噌汁にも気をつけます。

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2005/10/15

Before Sunset

今観たい映画。Before Sunset。映画館には行けなかったけど。

前作の恋人たち(まで)の距離(ディスタンス)~ビフォア・サンライズを、妹の薦めで観たのが何年前か?旅先で出会った男女(イーサン・ホークとジュリー・デルピー)の心のふれあいを描いた映画で、とても心に残った。

この二人が9年後再び出会うというのが、「Before Sunset」。再びあの余韻を残す感動にめぐり合えそうな気がする。

昨年だったか、大好きな海外ドラマのER(緊急救命室)を見ていたら、ルカ医師がひっかかるいわくありげな女を演じていたのが、ジュリー・デルピーだった。どっかで見た顔だ、と気になっていたのだ。それを思い出した頃、新作としてこの映画が紹介されたのだ。なんともいえず、雰囲気のある女優である。

追記:sunrise-sunsetさんの朝焼け・夕焼け写真日記をリンクさせていただきました。朝晩空が気になる方は、是非ご覧ください。美しい写真に心を洗われることうけあいです。

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♪Autumn Park

ユーミンの♪Autumn Park。

耳にするだけで、目の前にぱあっと秋の情景が広がる。

昔は退屈な曲だなあと思ったけれど、

最近はこの穏やかな平和な味わいを感じとれるようになった。

などとわが身を振り返って思う、今日この頃。

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2005/10/14

秋は金色

今朝空を見上げたら、

きれいなうろこ雲が出ていた。

胸いっぱいにキンモクセイの香りを吸い込んで、

さあ今日も、出掛けよう。

オシロイバナとセイタカアワダチソウの咲く一角に、

モンシロチョウが飛び交っている。

小菊のつぼみは、今にもはじけそうだ。

赤く熟した柿の実は、そこだけ穏やかな空間を作っている。

ああ、秋は何色だろう。

秋は金色。

何もかも、透き通った空気の中で輝いている。

秋は金色。

風は今日も、キンモクセイの香りを運んでいる。

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2005/10/11

ぼちぼちいこか

今日から土曜まで、ブログの更新はお休みになると思います。

毎晩のセミナーで、頭くたくたになる予定。

う~ん?

ぼちぼちいこか…

    ぼちぼち いこか

マイク=セイラーさく / ロバート=グロスマンえ / いまえ よしともやく
偕成社 (1980.7)
通常24時間以内に発送します。

追記:こんな夜更けに、蚊にさされて目覚めた。

    もう10月だってのに、憎らしい蚊め……

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2005/10/10

詩集と刺繍②

IMG_0036 何人かで協力して、私の通う教会の聖壇にかける布をしあげることになりました。でも…ビロードがしわしわになって、刺繍の枠のあともついてしまい、ああ……。

アルファとオメガのうち、Ωの葉っぱが私の担当分だったのです。何週間も持っていた挙句うまくいかなくて……。

「最初」と「最後」という言葉をかけたつもりの写真です。

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2005/10/09

詩集と刺繍

詩集と刺繍。

どっちが好き?

どっちも好き。

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クッキー

朝からクッキーを焼いた。今日教会の婦人たちで持ち寄って、クッキーの袋詰めをするのである。私は白い胡麻を入れて、セサミクッキーにした。上等ではないが、まあまあの味。他の人たちはは、さすがに慣れたもので、型抜きや搾り出しにアザランだとか、ルシアンクッキーだとか、かわいいのいっぱいなのだが、私のはただのまるめてつぶした形。私の定番というものには、まだめぐり合っていない。もう少し余裕を持って、クッキー作りにいそしみたいのだけど、なかなか行き当たりばったりで駄目である。

そういえば先週のとある夜、お日様笑顔のCちゃんが、黒砂糖入りのカントリークッキーを焼いたのといって届けてくれた。きっとCちゃんも今日のために焼いたんだわ。そのおすそ分けだったんだろうな。ありがたいなあ。あっという間に私と娘で食べてしまったのだが、それはそれはおいしいお日様の味がするクッキーなのだ。

さあ、そろそろ冷めた頃なので、缶に入れて教会へ。子ども達の教会学校ももう終わっている頃。今日は午後、子ども達とお出かけ。私の友達母子と合流して、アスレチックで遊ぶぞ~。それにしても、ちょっと疲れ気味の、日曜の朝である……。

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2005/10/08

キンモクセイの木の下で

今日は娘の保育園の運動会だった。天気が不安定なので開催が危ぶまれたが、朝の6時20分に予定通りとの電話があった。

実はこの呼び出し音に慌てた私は、寝ぼけて飛び起き電話に走り寄るときに、しこたま右膝と右手の親指の爪を廊下の角にぶつけてしまった。しばらく氷で冷やしたが、親指はしばらくしびれており、後から見ると血豆ができていた。おにぎり作れない~と痛がっていたら、息子が、僕がつくるよ、と言ってくれた。なかなかいいところあるじゃん、と感謝する。

8時半に集合だったので、ダッシュで娘を車に放り込み、保育園に駆けつける。今日は駐車禁止なので、保育園の周りには「駐禁」のカードを持った保護者が見張っていたが、一角にほんの一瞬停めさせてもらって、まずは娘を送り届け、応援の場所を確保。ジャングルジムの隣が空いていたから、遠慮気味に敷物を広げた。それからまたもやダッシュで家に帰り、息子が宿題をしている横で弁当その他家事を済ませ、今度は息子と一緒に自転車で保育園へ。あ~忙しい。

運動会は曇天のもと始まっており、半そで半ズボンでも丁度よい気候。一昨年だったか、晴天で閉口したので、今日のように薄曇りくらいがいい。応援を始めてふと気づくと、頭上から何か落ちるものがある。雨かしらと見上げると、そこはキンモクセイの木の下であった。オレンジの金平糖のようなかわいい花が、ぱらぱらと落ちてくる。息子と二人、葉の上に花を並べて、ひととき楽しむ。

昼になって息子を塾に送っていくため、またもや一旦帰宅。娘は家の人に任せて弁当を済ませてもらい、私は家で食事をして息子を送り出し、またもや自転車で保育園へ。娘は保育園運動会のフィナーレを飾る、年長組のリレーに出場。根性のあるところを見せてくれた。今日は一日嬉しくて、跳んで撥ねて、さすが「ゴムまりちゃん」である。可愛いなあ。来年はお兄ちゃんと同じ小学校にあがるから、二人の活躍を同じ場所で見学できるので、楽しみだ。一日が終わり、家に帰って弁当箱を洗おうとしたら、キンモクセイの花が入っていた。こういうことをいつまでも忘れずに、思い出にとっておきたいなと思った。

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2005/10/07

涙そうそう

このごろ家で息子が、森山良子作詞、「涙(なだ)そうそう」を歌っている。携帯に内蔵されていたので、覚えたらしい。私までつられて、歌ってしまう。この歌、2001年というから、4年前の歌だけど、つくづくいい歌だなと思う。

そういえば、友人に何年も海外に暮らしている人がいて、春に久しぶりに帰国したので一緒に温泉に行った。時を忘れて語り明かしたのが、いい思い出である。そのとき彼女にプレゼントしたのが、ここ数年日本で流行った曲のCD。選曲は私。適当に順番をつけたのだが、最後の曲が夏川りみの「涙そうそう」だった。友人は帰国してから高速道路を走るときにそのCDを喜んで聴いてくれているそうだ。「世界で一つだけの花」とか、「地上の星」とか、「瞳をとじて」とか、いい歌を沢山入れたけど、彼女が一番気に入ったのが、「涙そうそう」だという。

実は私はここ数年忙しく、名曲のタイトルは知っていても、成り立ちや歌詞をじっくり味わう余裕がなかった。友人にそう言われても、ははあ、夏川りみが死んだおばあさんを思った歌かな、くらいにしか思わなかった。だけど先日森山良子が出ていた歌番組で、その詞にこめられた思いを聞いた。作詞が森山良子だということも、そのときまで知らなかった。

森山良子のデビュー後まもなく、兄が若くして逝った。あまりにも突然で、あまりにも悲しくて、森山良子はその思いを以来ずっと封印してしまったという。ところが何十年もしてから、沖縄の言葉「涙(なだ)そうそう」とは、涙をぽろぽろ流して泣くこと、ということを聞いた時、その亡くなった兄のことを一気に思い出し、この詞が生まれたのだという。それに沖縄出身のBEGINが曲をつけたのが、この歌なのだ。

ああ、そうなんだ、と思う。亡くなった人は、星になり、空から私たちを見ているのだろうか。いつまでもその人は、遺された人の心に生き続ける。くじけたときにも、その弱った心を支えてくれる。優しい思い出にするには、別れをしたあと、思いっきり悲しんで、涙を流すことが大事なんだろう。「さようなら」を「ありがとう」に変えるために。深い、心に浸みる歌である。息子が気に入って歌っているお陰で、しみじみ歌詞を味わいながら私も歌えるようになってよかったと思った。

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2005/10/06

銀杏

いちょう並木の下を通ると、銀杏がつぶれて独特のにおいを放っている。足元をよく見ないで歩いている人たちが、ずるっと滑ったりしながら踏んでしまっているようだ。

私はどういうわけか、大学に入るまで銀杏というものを知らなかった。我が家の茶碗蒸しには銀杏は入っていなかったし、私の知っている銀杏の樹にはぎんなんが成らなかった。雄の樹だったんだろう。

大学祭が近づき秋たけなわの頃、いちょう並木をくぐって教室へ入ったら、なんだか臭い。どうも靴の裏から異臭が漂ってくる。それで初めて銀杏というものが、こういう風に強烈に臭い実の中に入っているものなのだとわかった。聞くところによると、この季節になると、近所の人が銀杏を拾いにキャンパスに入ってくるという。そしてそれを、庭に埋めるんだそうだ。へぇ~そうなんだ。

あるある大辞典かなにかで、銀杏パワーを特集したとき、知人の義母は体によいからと朝から晩まで料理に銀杏を入れたそうである。銀杏入りのシチュー、どうしてもいただけなかったとか。大人になって私も銀杏を口にするようになったけど、やっぱり茶碗蒸しが一番かなあ、と思っている。

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2005/10/05

手前味噌

10月に入ったので、2月に仕込んだ味噌を出した。今年はとても美味しくできた。今までで一番。嬉しいなあ。本当は、入れるべき塩をうっかり三分の一ほど入れそこない、あとから青くなっていたのだが、大丈夫だったようだ。長期保存はできないかもしれないが、きっと春までには食べきってしまいそうな量なので大丈夫だろう。

味噌を作り出したのは、友の会の影響。私は家庭に入って子育てだ、となったとき、とても自信がなかったので、愛読している雑誌『婦人之友』の読者の会に入った。それが友の会である。地方で知り合いもなく、雑誌から電話番号を調べて頼っていった友の会の人たちは、それはもう勤勉で立派な主婦の集まりで、私は程度の差を恥じ入りながらも、必死になって活動についていった。

実際は、幼い子を連れているので例会にも遅刻ばかりしていたけど、近くの人たちの集まりである最寄会であちこちのご家庭を訪問したりするのが、とても楽しかった。先輩達は、毎年2月になると、皆で大豆や麹を取り寄せて味噌を作っていた。私もいつの間にか仲間に入れてもらい、最初の何年かは、大騒ぎしていつの間にか我が家の分も仕込まれているという状態であった。何年目かに、自分の家で今度は知り合いを集めて、味噌の仕込み方を伝授。しかし、マンション暮らしだったので、家の中の涼しいところがみつからず、どうしてもカビが出てしまうのが難点だった。

今年はその点、うまくいった。友の会は引越しを機にやめてしまったが、味噌作りだけは続けたくて、昔の遠い仲間に頼んで材料を送ってもらい、こちらで仕込んだ。やっぱり、初めて作ったときの味に近い。前年は、こちらで新しく知り合った人のつてで購入した材料で仕込んだが、味がきつくてがっかりだった。やっぱりわいわい言いながら昔の仲間と作った味噌の味が懐かしい。

麹が多いせいか、優しい甘い味噌ができて、この冬温かい汁を出すのがしあわせいっぱいな気分。嬉しいなあ、楽しいなあ。面倒だけど、またトライしよう。満足な味噌を前に、決心も新たな秋の夜である。

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2005/10/04

人は死んだらどうなるのか

妹は幼い頃,「人が死んだらどうなるのか?」という疑問を抱えて、とても悩んだことがあるのだそうだ。その問いを彼女はしばらく胸に抱えていたが、その重さに耐えかねてあるとき母親に問うてみた。しかしその答えは彼女が考えていたような重さではなく、あまりにも軽かったので、以来妹はこの大きな問いを胸にしまってしまった。そして私たちはやがて大人になって、それぞれ人の親になった。30年もの時を経て、ようやく妹は私にその秘密を語ってくれた。あまりにも簡単に片付けられて、悲しかった思い出を。

さて、「人が死んだらどうなるか?」これは古今東西多くの人が、一度は通り過ぎた悩みであるようだが、私は残念ながらその深遠な疑問を抱いたことがなかった。そんな私がその疑問の明確な答えを知ることが出来たのは、エリザベス・キュープラー・ロスの著作の中だった。ロス博士の自伝『人生は廻る輪のように』に、博士の夫が死んだ時に彼女に残したメッセージ(玄関先におかれた赤い花)のエピソードがある。ロス博士は、『死ぬ瞬間』やその後の一連の著作を通じ「死」を説明するとき、さなぎから蝶が離れる様子をイメージとして使う。蝶が孵って花畑へ飛び立つように、魂は体から離れるというのである。だから、死は怖くない、と。それを死ぬにあたり、夫が彼女にわかる形で見せてくれた赤い花のエピソードは印象的だ。情緒的な文章ではないので、その感動を噛み締めることはむずかしかったのだけど、昨日読み終わった梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』は、まさにこの問題を扱った児童書であり、十分に味わいのあるものだった。

主人公のまいは、自然あふれる祖母の家で特別なひと時を過ごしたことがある。中学になじめず、母親からも「扱いにくい子」と思われ、居場所がない気持ちになっていたまい。その祖母は、イギリスから教師として来日し、同僚の日本人と結婚し家庭に入った人である。まいの母を生み、その後夫に先立たれて山の中で一人暮らしをしている祖母と暮らすうち、まいは少しずつ成長していく。魔女修行と称して祖母は、大切なことをまいと語り合うのである。自然のなかにほっとできる場所をみつけるまい。鶏が獣に襲われ無惨な姿になった場面を目撃するまい。大好きだった祖母と最後には気まずい別れ方をしたまいは、2年たってその訃報に接し、母と共に祖母の家へ向かう。そこでまいは、彼女に愛情をかたむけてくれた祖母の、あるメッセージをみつけるのである……

西の魔女が死んだ

梨木 香歩著
新潮社 (2001.8)
通常24時間以内に発送します。

ところで魂の重さは何グラムだか、ご存知の方はあるだろうか?この記事を終わるにあたり、私の訪れるネット教会の牧師のショートメッセージ、心のありかを紹介しておこう。

追記 : 母が毎朝、池の金魚に餌をやっている。この金魚、もう何十年も一匹だけ生きていて、母が大切にしていた友だち。ところが今朝、やられてしまったのである。憎むべきは、猫だろうか。池には赤いひれのちぎれたものが、浮いていたという。母が朝からがっくりうなだれていたので、昨日読み終えた『西の魔女が死んだ』を貸してあげた。慰めになるとよいのだが。

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2005/10/03

ギンモクセイ

大好きなキンモクセイの香りに、ようやく出会った。毎年10月に入るか入らないかの頃になると、どこからともなく漂ってくるこの優しい香り。

ところが今年は、10月とは思えない暑さの日曜日。だから、なんとなくしっくりこない。秋らしくない一日だったから。

私が一番愛していたのはあるギンモクセイ。キンモクセイと同じく、甘い香りがする。昔通っていた教会のそばの、一つの玄関先にあったその木は、大きくて、いつもきれいに剪定されていた。まるでホットドックを太らせたみたいな木だった。十月初めの日曜日、毎年かわいい白い花をいっぱいに咲かせていた。

昔の友人の消息を尋ねるように、その教会の知人にあのギンモクセイは?と訊いてみると、建て替えが進んでいるその街で、その家も取り壊され、その木は今はないという。心が痛んだ。その話を聞いた後、その街角を通るのが忍びない、そんな気分にさせられた。来月その教会で恒例のバザーがあるけれど、いつもと違った道順で行こうと思った。

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2005/10/01

『走れメロス』

勤め先の図書館で、雑誌の業務をしている。専門図書、しかも外国語ばかりなので、非常に神経を使うのだが、ときどきラウンジに置く一般雑誌も手元を通り過ぎる。きのう私の目に留まったのは、文芸春秋の臨時増刊号。「一冊の本が人生を変える」という特集。著名人が自分の出会った本を紹介している内容らしい。仕事中だし読むことが出来なかったのが残念。さて自分にとっては、どの本がそれにあたるだろうか?とその時思った。

詩のこころを読む

茨木 のり子著
岩波書店 (1980)
通常24時間以内に発送します。

印象的な本といえば、茨木のり子の『詩のこころを読む』。父の方針で岩波ジュニア新書を順に買っていた我が家で、私は本を買い与えられるということにとても抵抗があったのだけど、この本に出会えたことは感謝だった。やわらかい心だった中学生時代、噛み締めるように紹介された詩を読んだものだった。

それから、三浦綾子の著作。とくに『氷点』と『道ありき』は感動した。後にその土臭さが鼻についたこともあるけれど、やっぱり私の一つの原点だと思っている。

太宰治の『走れメロス』。これは確か中学2年のときの教科書に載っていた。私は当時、入学したころからの仲間と一緒によく行動していた。お金持ちの多い女学校で、私の仲間はどんどんおしゃれになっていき、私は一人取り残されていた頃のことである。私は鈍感だったのだろう。自分がのけ者にされていることに気づかなかった。いつも人のいい笑顔を浮かべていた。馬鹿にされているのがわからなかった。

ある日仲間のうちの一人、Eさんが、私を校内のある場所に呼び出した。何も心当たりのない私にとっては、初めて聞く話ばかりだった。~みんながののかちゃんのこと馬鹿にしているの知ってる?私はそれを聞いているのが、今日までとってもつらかった。みんなを止めることができなくてごめんね。あの人たちは、本当の友だちじゃないんだよ。走れメロスのような、本当の友だちじゃないんだよ。だから、離れたほうがいい~Eさんは、涙ながらに私に真実を語った。

私は、ショックだった。仲間の中には、一年生の頃、ほかの人たちにのけ者になった人も含まれていた。あの時は、私がそっと見えないところで、支えてあげたのに。「知ってるよ、あなたのつらい気持ち。でも、私はあなたの友達だよ。」そう言って助けてあげたのに。今度は私の番だったのだ。私は、のけ者になっていることに、全然気づかなかった。落ち込んだ私を救ったのは、Eさんの涙だった。この人はすばらしい人だな、と思った。仲間だと思っていた人たちには裏切られたけど、もう一人の優しさに救われた。真実は知らないほうが楽だったが、惨めに知らされずにお人よし顔で笑い続けるよりも、事実を受け入れ毅然と生きるほうが断然いいに決まっていた。

以来その仲間との付き合いは途絶えた。廊下であっても、知らん顔をした。私はそれから特定のグループに入ることはなくなった。私とあなた、というような関係の友達が、多くはないけどできた。Eさんとも付き合いはなくなったが、今でも彼女の優しさには感謝している。高校になってから父親を病気で亡くした彼女は、そんな境遇でも他の人をいたわる優しさを持っていた。私の尊敬する教師が、彼女のことを人前もはばからず褒めていたのを思い出す。

『走れメロス』は、その友人との思い出を甦らせてくれる、大切な一冊である。

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