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2005年11月

2005/11/30

こころ

私が高校生のとき書いた小説の題名。学校の課題だった。原稿用紙に10枚くらいだったと思うが、皆頭をひねって、小説に初挑戦したのである。私がつけたタイトルはもちろん、大好きだった夏目漱石の小説と同じ。

季節の設定は今ごろ。黄昏せまる頃には、街の灯りが少しずつ点いて、とても美しい。葉の落ちた木の枝が、くっきりと浮かび上がる様を、書き出しにしたのだった。テーマは漱石と同じく友情。私も、悩みの真っ只中だった。どうやったら出口があるのか、悩みのさなかでは思い及ばなかったが、いつしか悩んだことも忘れてしまうほど年月を重ねてしまった。

学校帰り、暮れなずむ街。家路を急ぎながら、いろいろなことを考えた遠い昔。そうして今時を経て、再び同じような街の夕暮れを歩くとき、あの未熟ながらも真剣に人生の問題を考え始めていた若い日を思い出すのである。

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♪一杯のコーヒーから

ある町をのんびり歩く機会があった。お昼時だったので噂の中華の名店に入ろうとしたら、なんと休業。しかたなく、駅からのびる商店街を歩いていく。ファーストフードも食べたくないし、定食屋という気分でもなし。そうこうしているうちに、喫茶店もなくなって、住宅街に入ってしまった。ああ、これで今日は食べ損なうわけか…とおなかをすかせて心細くなってきたところ、記憶の中では確かに家具屋があったはずの場所が、ランチの店に変わっているのに気づく。選択肢はもうない。よし入ろう。

中は一面白い壁紙。今はステンドグラスのスタンド(商品)やピアノ、ギターなどが並んだ空間の中央にカウンターがあり、壁には品のよいティーカップが何種類も飾ってある。私が夢に描いている空間に近い。カウンターの中には、品のよい中年女性とその娘さん(だと思う)がいて、お客と楽しく会話している。私はピザトーストとコーヒー、デザートというランチを頼む。すると、轢き立てのコーヒーが出されてきた。おいしい。トーストが来る前に飲み終わってしまったら、またどんどんお代わりが出てくる。さらに気に入った。

トーストとデザートはまあまあだったけど、私が気に入ったのは、その店がその地域になじんでいること。客同士が自然に会話ができるような雰囲気があること。そういうスペースって、大切だよなあ。夢が広がる。時々私が思い描く夢。それは…。

もしも私がお店を開くなら、私の気に入っている緑の道の脇に、自然に溶け込むような形でつくりたい。そして、子どもたちがくつろげるようにコーナーをつくって、そこには絵本を並べよう。そしてカウンターを中心として、女たちが集えるスペースを。花は庭からとってきた自然のものを。お出しする料理は、仲間がつくる手料理を。ほっとする味ばかりを集めたい。ちょっとずつでも働ける人たちが、支えてくれるようなスペース。散歩のついでにちょっと一息できるような店。それが地域のコミュニティに繋がれば、もっといい。

多分実現はできないだろうけど、夢は夢として大切に、私は思い描いていきたいのだ。人と話すことが好きな私には、結構むいているような気がするの、そんな店。カウンターの中にいる私。助けてくれる仲間。人と人の心が繋がるような、温かい安らぎの場所。疲れている人が、立ち寄ることの出来る店。

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2005/11/28

いざ本番

今日は息子が朝礼で全体の合唱のピアノ伴奏をするというので、仕事を休んで見に出掛けた。

昨日になって息子いわく、

「実はボク、背が低いから、指揮が見えないんだよ…。」

グランドピアノからだと、指揮者が見えないらしい。でもそこは私の息子である。きっと先生に相談することができるだろう。大丈夫、きっとどうにかなるよ、と言って、今朝送り出した。

8時半すぎ、体育館に生徒がどやどや入ってくる中、たったひとり保護者の私が紛れ込んで朝礼が始まった。表彰式が長々と続く。そして、いよいよ、合唱の時間のはじまり、はじまり。

♪ともだちになるために~

体育館後方からでは、息子の姿は小さくしか見えない。しかし、演奏はよく聞こえた。いつもにもましてリズムよくばっちり。音楽の先生が隣で背中をたたいてくれていた。指揮者が見えなくても、これで安心して弾くことができたのだろう。エクセレント!合唱にうまく合わせて聴こえたので安心。

その後学習発表会があり、こちらでも息子は♪星に願いを、では鉄琴に挑戦、♪ミッキーマウスマーチではリコーダーだったけど、なんだかいつの間にか音楽が好きになっちゃったんだな。嬉しそうにあとで笑っていたので、満足だったもよう。そうして一日が終わり、今は友だちの家に遊びに行っている。

私は感無量。よくやったね。偉かったね。もっと上手な人は沢山いるけど、まだ一年も習ってないのに、上出来だったよ。これからもその意気で、恐れずいろんなことに挑戦してみよう。お母さん、応援してるからね。

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2005/11/27

キッチン・テーブルの知恵

失われた物語を求めて
レイチェル・ナオミ・リーメン著 / 藤本 和子編訳
中央公論新社 (2000.12)
通常2-3日以内に発送します。
祖父の恵み
祖父の恵み
posted with 簡単リンクくん at 2005.11.27
レイチェル・ナオミ・リーメン著 / 藤本 和子編訳
中央公論新社 (2005.5)
通常2-3日以内に発送します。

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2005/11/26

秋の夕暮れ

今日は自転車で、紅葉のきれいなグラウンドに出掛けた。

IMG_0004 IMG_0008  グラウンドのまわりの芝生の斜面は、子どもたちにとっては、格好の遊び場。 近所のスーパーでダンボールを貰い、それをそりにして滑る。

「きゃ~~~。」歓声が響き渡る。にっこにっこの子どもたち。

楽しい楽しい、土曜日の午後。のどが渇いた~と言う子どもたちに、お茶を買い、少々涼しくなってきたので引き上げることに。

おやつには鯛焼きを買い込み、家に帰ってから食べる。豆乳クリーム入りは、ちょっと甘すぎた。そういうわけでおなかがいっぱいな私たちだというのに、夕方にどこからともなく、♪い~しや~きいも~、や~きたて~という声が聞こえてくると、いても立ってもいられなくなる。食いしん坊なのである。私は息子と石焼き芋屋の車を探して、街を走る。でも、声はすれども姿は見えず。「ただいま、~で販売中。」と言ってくれたら居場所がわかるのに…。

そんなこんなの、秋の夕暮れ。

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2005/11/25

芸人たち

いただきもの。IMG_0020 職場で以前ペットボトルのお茶を買っておまけを集めていた人に、「最近笑点見始めたら、面白くてたまらない。」と話したところ、そのおまけの落語家フィギュアスタンプのあまったのを分けてくださったのだ。

最近若手のお笑い芸人たちがバラエティー番組にひっぱりだこだが、なにか後味の悪い不快な笑いを提供しているようで、私は疲れるのだ。

それにひきかえ、この番組に出てくる落語家たちは、楽しい。甥達が面白いよ、というので見てみたのだが、この長寿番組、もう40年になるそうだ。私の家では見る習慣がなかったので、この歳になるまで私はこのおかしさに出会わなかった。昔そういえば、大橋巨泉の司会する「お笑い頭の体操」という番組があって、「~とかけて何ととく?」というのを月の家円鏡などが答えていた。すごいなあ、頭いいなあ、面白いなあ、と大人が見ている脇で感心したり笑ったりしていたような気がする。その懐かしさが、「笑点」にはあるんだな。

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2005/11/24

「あたたかい右の手」

うちの息子は、手がとても温かい。「ボクの手は、あったかいよ。」と寒い冬の夜などに、お布団で温めてくれるほど。このごろ寒くなってきたので、彼はまたそう言って、眠るとき自分の手を触らせる。「あったかいねえ。」とその手を右手で握りかえしながら、昔読んだ短編を思い出した。それは、壼井栄童話集のなかの「あたたかい右の手」。

私が覚えている話の内容は、ある女の子が気の合う友達がいたのだが、やがて体の弱いその清らかな少女は別の学校へゆく。そして久しぶりに遠足の前の日に会うが、その友だちは遠足の満員電車の中で、あまりの混雑に圧死してしまう、という痛ましい話だった。なんだか痛々しい気持ちだけが残って、なんで「あたたかい右の手」という題名だったのかが思い出せないでいた。

昨日たまたま図書室で、上記の本をみつけたので探してみると、「あたたかい右の手」があった。その亡くなった少女の名は慈雨(じう)ちゃんという。信仰の篤い家庭にそだち、将来はシスター(どうていさん)になりたいと話していたという設定だった。主人公の竹子は、慈雨ちゃんが亡くなったという悲しい知らせを聞いた日、母と話しながらその手を握ると、それはあたかい母の右の手だった、という終わり方だった。

そうか、温かかったのは、お母さんの右の手だったのか、と最近の疑問が解けてすっきり。このように、部分的にしか覚えていなくて気になっている本が他にもあるので、チャンスがあったら小さいときの記憶をたどってすっきりさせてみたいなと思っている。

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2005/11/23

カレーに挑戦!

大量のタマネギ。IMG_0010 間違ってせいきょうに注文したのが届いた。

まだ使い切っていないのがあったのに。

困ったなあ。

夕方、息子が「今夜はカレーが食べたい。」と言い出す。他のメニューを考えていたのだが、それなら、あのタマネギを使えるな、と予定変更。「こないだから作りたがってたし、頑張ってね!」と息子を頼りにする私。

タマネギを8個刻む。泣きながら。これは私の役。それから、息子にバトンタッチ。40分炒めるつもりでとりかかる。娘がそばで手伝う(のどが渇いたら水を持っていってやり、励まし続ける…)。そして出来たのが、これ。IMG_0011 息子、さすがに満足そうである。

「ねえ、タマネギって炒めると、水分が蒸発するから小さくなるんだねえ。」と息子。やってみて実感が湧いたらしい。火加減などわからない息子、ひたすらひたすら炒めたのだろう。しかし、焦げ臭いにおいに気づいた祖母に促され、35分過ぎたあたりで火を消したとのこと。私はその間、肉を買いに出掛けていた。もう少しで黒こげになるところだったよ~。よかった、間に合って。

さて、今度は肉を炒める。実家に何十年前のでしょう?みたいな、カレー粉の缶があったので、どっさり入れた。IMG_0013 ふわ~っと広がる、カレー粉の香り。なんだか、おいしそうになってきた。人参も炒めて、さっきのタマネギと一緒に煮込む。灰汁は例によって、息子が丁寧にすくう。IMG_0014 IMG_0015

背が届かないので、椅子にのって調理。

付け合せのサラダは、私が作る。IMG_0016 美味しさの秘訣は、フライドオニオン。これをかけると、野菜嫌いの子どもたちもどんどん箸が進む。

そして、出来上がり。IMG_0017 娘は少し辛い、というので、昼に作ったアップルケーキ(ジロー’s カフェのレシピ集から)で残ったヨーグルトを少しいれると、問題なく食べられたのでほっとした。

味に深みがあって美味しいので、みんなおかわり。

こんな美味しいカレー、久しぶり(*^。^*)。これからどんどん作ってね。まだタマネギ、た~くさんあるから…。

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2005/11/22

約束の地

10月末アメリカの公民権運動のきっかけであるバス・ボイコット事件(1955年12月・アメリカアラバマ州モントゴメリー)の発端となった女性~ローザ・パークスさんが亡くなった。天寿をまっとうし、92歳だったという。

この事件をきっかけに、まだ牧師になって間もなかったマーティン・ルーサー・キング牧師は、公民権運動の先駆的な役割を果たすことになった。以後、力強い言葉を数々残し、非暴力でその権利を勝ち取るために奔走。インドを独立へ導いた、マハトマ・ガンジーを倣ったのだ。その発言や行動は、多くの黒人の支持を受けた。大きな壁があったが、キング牧師をリーダーにして黒人たちは、非暴力で戦い続けた。キング牧師は、黒人だけでなく、虐げられたあらゆる人のために命がけで闘った。そして10年の闘いの後公民権法が確立し、その功績が認められキング牧師は1964年にノーベル平和賞を受賞。しかし、その4年後、メンフィスのホテルで銃弾に倒れる。享年、39歳。今生きていれば、80歳を越えていた。

「暴力に、暴力でこたえてはならない。」

「愛こそがあらゆる問題を解決する、たったひとつの鍵なのです。」

「私には夢があるのです。あのアラバマにおいてさえ、いつの日かきっと、幼い黒人の少年少女たちが幼い白人の少年少女たちと兄弟姉妹として手をとりあい、力を合わせる日が来るだろうと。」

法律ができた今でも人種差別の闘いが続くアメリカではあるが、キング牧師の生まれた日は、国民の祝日として祝われているということだ。

私の家のベランダには、今ようやく3つ目の綿の花が開いた。このきれいなかわいい植物を、その昔アメリカの南部では黒人を奴隷として働かせ畑で大量に栽培していた白人がいたのだ。そこまで想像力がなかなか働かないのも仕方ないと思うけれど、バス・ボイコット事件のパークスさんの死をきっかけに、幾つか本を読み(と言っても、入門書ですが…)、紹介を兼ねて記事にした。

凶弾に倒れる前の最後の演説を、師はこう締めくくったという。

「神は私に山の頂へ行くことをお許しになりました。そして、私は山の向こうを眺めてみました。そこに、私は約束の地を見たのです。みなさんとともに、あの約束の地へ行くことは、私にはできないかもしれません。…われわれは、みな、いっしょに、約束の地へ着くことができるということです。…」

これはまるで、モーセがエジプトからイスラエルの民を率いて40年も荒野をさまよいながら、ようやくカナンを臨む頂にたどりつきながらも、その地を踏むことなく死んだことを思わせる。映画「十戒」が脳裏に浮かぶのは、私だけではないだろう。

キング牧師
キング牧師
posted with 簡単リンクくん at 2005.11.22
辻内 鏡人著 / 中条 献著
岩波書店 (1993.6)
通常24時間以内に発送します。
キング牧師の力づよいことば
ドリーン・ラパポート文 / ブライアン・コリアー絵 / もりうち すみこ訳
国土社 (2002.11)
通常24時間以内に発送します。

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2005/11/21

♪月曜日のロボット

週に何日かは電車通勤している私。ラッシュが過ぎた頃に電車に乗るわけだが二駅乗って始発電車に乗り換えて、そこでなんとか並んで席を確保。ひたすら読書をして目的の駅に向かう。ところが、目的の駅のひとつ手前で、乗っている電車の行き先次第では、また乗り換えなくてはならず、読書に熱中していると、よく降り忘れる。あわてて次の駅でひきかえしまた降りて、階段上って下りて反対側のホームへ…。なんて大慌てになることもしばしば。地下鉄はこれだから面倒だ。

そんな風な私の様子はおかまいなしに、毎日同じ電車にのり、同じドアで下り、同じ改札を通って機械的に歩く人の群れを見ると、ユーミンの♪月曜日のロボットを思い出してしまう。みんな週末は人それぞれ笑ったり泣いたりの生活を送るんだろうに、月曜の朝は無表情なロボットの顔になる。ああ、仕事って大変。みなさん、ご苦労様である。

こういう労働者たちに、日本は支えられているのだなあ。それにしても、OLを辞めないで、なんとか今日までやってこれなかったものだろうか、と自分の越し方を考えてしまう。辞めないで続けてさえいれば、今全然違う状況だろうなあ。一旦仕事から遠ざかり家庭に入ると、本当に女性は再就職が難しいのだ。この労働力を、高く買ってくれるところはないのかしらん。人材としては、まあそれほど捨てたものじゃないのだからさ!!

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2005/11/20

アドベント・カレンダー

今日は教会の礼拝&ティータイムのあと、みんなでクリスマスの飾り付けをした。電飾で外の木を飾り、礼拝堂にはツリーを出してオーナメントをつける。リースも扉という扉に。生誕劇の場面のフィギュアをコーナーに出す。毎年のことながら、わくわくするひと時。来週からは、イエス・キリストがこの世にお生まれになったクリスマスを待つ、アドベント(待降節)に入るのだ。

今日は日本でいえば七五三のお祝いの幼児祝福式がうちの教会ではあり、子どもたちも一緒に礼拝に出て、お祝いのクッキーとアドベントカレンダーをプレゼントされた。

このアドベントカレンダー。12月の1日から24日まで、毎日一つずつ窓をあけて、クリスマスが来るのを待つという楽しみに繋がる。早速食堂の一番目立つところに飾った。ちらかった我が家だが、あちこち片付けて、そのほかのクリスマスの飾りをしなくてはいけない。もう11月も残りわずか。12月に入ったら、大人たちにとってはどんどん日が飛んでいってしまいそうだけど、子どもは子どもの時間のゆったりとした流れで、わくわくと年末を楽しみにして欲しいと思う。

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2005/11/19

「エリザベスタウン」

良い映画に出会った。エリザベスタウン

絶望の淵にたたされた青年が、父の突然の死で葬儀のため親戚が沢山住む父の故郷を訪れる。何もかも失ったと思っていた青年は、そこで父を愛していた人びとに出会い、寄り添って支えてくれる女とも出会うというロードムービー。

人と人との繋がり。寄り添うことの力。愛。そういう大切なことを、しみじみと味わわせてくれる秀作。誰でも一人ではない。思いがけない人に、支えられて生きているんだということを気づかされる。主演の二人も、もちろんよいのだけど、私のお気に入りのスーザン・サランドンがいい味出してたなあ。

とにかく私は、余韻にひたって今晩はゆっくり眠ろうと思う。

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2005/11/18

人生のまさか

A  friend in need is  a friend in deed.まさかの友は真の友。これは女学生だった頃習った英語の諺であるが、今朝目覚めてから、急に頭に浮かんだ。これだ、と思った。

この私を今まで支えてきてくれたのは、多くの友情であるけれど、それは立場として友だちであった人ばかりではない。先輩だったり後輩だったりする場合もある。同じ状況を乗り切ったという意味では戦友である家族(親・子・兄弟・夫婦)もそうだろうし、師であったり、言葉であったり、本であったり、時には花、樹、絵、音楽も友だったときがあった。

大人の友情に冒頭引用されていた、学者の言葉を紹介しよう。友人とは、「夜中の12時に、自動車のトランクに死体をいれて持ってきて、どうしようかと言ったとき、黙って相談にのってくれる人だ」という。

人生のまさか、は思いがけない形で思いがけないときに訪れる。そのピンチのときに思い浮かんだ人、その人は多分、ああしろこうしろではなく、共感をもってその人の話をきいてくれるだろう。私も経験した。思いがけないことになったとき、思いがけない人が頭に浮かび、連絡をするとその人がまさに私を助けてくれる人だった。救われた。

これから私が生きていくうえで、「まさか」はまたいつか訪れるだろう。そのとき私を救ってくれるのは、きっと友であるだろう。なにかそういう確信があるのである。

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『大人の友情』

まざあぐうすさんのほのぼの文庫に紹介のあった河合 隼雄の『大人の友情』を読んだ。感じるところは沢山あるのだが、なにしろ読書感想文が苦手な私としては、文章にするのが大変。

大人の友情
大人の友情
posted with 簡単リンクくん at 2005.11.18
河合 隼雄著
朝日新聞社 (2005.2)
通常2-3日以内に発送します。

臨床心理学者である著者の相談室を訪れた人たちとの会話を交え、いろいろな友情のありかたを考察する。読みやすくて、必ずどこかで、あっと思い当たる箇所が誰にでも出てくるような本である。特に、引用されている本が印象的。中でも読んでみたいと思ったのが、白洲正子いまなぜ青山二郎なのか(これは何度も引用されていたし、面白そう!)、 丸谷才一挨拶はたいへんだ。もう一度読みたいと思ったのは、夏目漱石『こころ』『それから』『坊ちゃん』、シェイクスピア『ヴェニスの商人』、武者小路実篤『友情』、太宰治の『走れメロス』。

友だちがほしい~友情を支えるもの~男女間に友情は成立するか~友人の出世を喜べるか~友人の死~「つきあい」は難しい~碁がたき・ポンユー~裏切り~友情と同性愛~茶呑み友だち~友情と贈り物~境界を超える友情

章のタイトルだけで十分興味深いが、文章が易しいのでとても読みやすかった。特に私は、茶呑み友だちのところが気に入った。私が好きな関係は、まさに茶呑み友だちかもしれない。老後は気の合う友達と、のんびりゆっくり楽しくやりたい。まさに茶呑み友だちである。それから、ロマンチックラブを通り越したような中高年の茶呑み友だちにも、恋愛はあるようである。野上弥生子と哲学者の田辺元の関係は、なんだか崇高なおとぎ話のように思えた。それぞれパートナーを失ってからの北軽井沢での出会いから~往復書簡にみられるつきあいの深まりは、感動的である。

終わりにかかれた文章に、友情とはなんぞや、という問いかけに答えた部分がある。あらゆる人間関係の基盤としてそれはあり、人間の生き方を豊かにしてくれるもの、という。そして、万能感に支配されているように見える現代において、かえって人間は大変な孤独や閉塞感に悩まされる。だから、ぎすぎすした関係に潤いを与えてくれる友情ということが、現代においてきわめて重要になってくるのも当然である。そして、友と友を結ぶ存在としての「たましい」などということに、少しでも想いを致すことによって、現代人の生活はもっと豊かで、幸福なものになるのではないだろうか、と結ぶ。

「たましい」という言葉に、心を揺さぶられる思いがした。私は今まで友情に支えられてこそ生きてこれたと思っているので、なんだか涙が出そうな気持ちになった。

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2005/11/17

友人が参加しているユーオーディア・ワーシップ

十弦の琴よ、立琴よ。

目を覚ませ。

私は暁を呼びさましたい。(旧約聖書 詩篇 108:2)

高らかに信仰を歌いあげるメサイヤなどの宗教曲と違い、

軽快に楽しく聴くことのできるアンサンブルの調べ。

なかなか、いいのである。

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2005/11/16

『ハンナのあたらしいふく』

オンライン書店ビーケーワン:ハンナのあたらしいふく

今夜は満月。

月はまぶしい光を、雲間からのぞかせてくれる。

空気の澄んだこの季節、私は月を見上げるとこの絵本を思い出す。

今晩はハンナになった気分で、子どもたちとこの本を読んで眠るとしよう。

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2005/11/15

一粒の籾

今日娘の保育園の年長クラスで、籾から育てた稲からとれた米を精米し、2合半になったものを炊いて、おにぎりを作り食べたとのこと。一人当たりはたったの一口だったと思うけど、娘は満足そうだった。

学生時代、考古学のサークルにいた私は、文集のタイトルにもなっていた「一粒の籾」という言葉は、考古学者・森本六爾の有名な言葉の一部と思っていた。「一粒の籾、若し地にこぼれ落ちたらば、遂にただ一粒の籾に終わらないであろう。」

しかし社会人になり、教会に通うようになって、これが聖書の有名な聖句であったことを知った。新約聖書ヨハネによる福音書12章24節。新共同訳になるとこうなる。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」

聖書での一粒の籾は、イエス・キリストのことを示すわけであるが、娘の保育園で育てた籾は、宗教とは関係なく、生命の神秘収穫の喜びを子どもたちに教えてくれたようである。

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いちょうの葉

娘はよく、保育園からお持ち帰りをする。

何を持って帰ってくるかというと、それが工作の作品だったり、芋掘りでほかされたくず芋だったり、お友だちからの意味不明(ごめん…)のお手紙だったりするので、毎回処分に困るのだが、今回は違った。

黄色く染まったいちょうの葉が数枚。拾ったときの娘の感動が伝わってきた。

小さくてかわいい娘よ、今日もまた怖い怒り方をしちゃってごめんね。怒りすぎだったね。反省しているのに、また繰り返しちゃうんだよ。ほとぼりが冷めると謝るけど、謝られたって、傷つくよね。明日こそ、怒りの感情をおさえた大人に、お母さんはなりたいと思うよ。

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2005/11/13

♪友だちになるために

♪友だちになるために(作詞:新沢としひこ 作曲:中川ひろたか)

息子の通う小学校では、毎月一曲ずつ歌う曲を選んでクラスなどで練習し、月に一回は朝礼のとき全校で合わせてみるのだそうだ。

最近なにかにつけやる気を見せている息子、まだ2月から9ヶ月しか習っていないピアノなのに、その伴奏をやりたいと手をあげたとのこと。

毎日、練習練習。ピアノのレッスンに楽譜を持参し、先生から丁寧に教えてもらったらしい。やがて努力の甲斐あって、ちゃんと弾けるようになったから偉いなあと思っていたら、何人かの中から遂に選ばれたとのこと。大丈夫かなあ?と親としては心配だが、晴れ舞台を見に行ってみたいと密かに思っている。

♪友だちになるために、は歌詞もいいし、メロディもいい。せっかく頑張っているのだから、伴奏も成功するといいな、と思う。

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2005/11/12

♪木枯らしのダイアリー

太陽が出て一瞬暖かくなり、シャツ一枚で出掛けたら、強い風が吹き寒くなってきた。まずい、と買い物から帰り、家であたたまる。さっきの陽気で半袖姿で歩いていた人たち、大丈夫かな?

夜になってニュースを見たら、木枯らし1号だったそうだ。どうりで寒くなるわけである。空には雲ひとつなく、月も星もきらきら光っている。ああ、木枯らしの季節がやってきたのだ。秋ももうすぐ冬へ移っていくのだなあ。

娘が収穫したさつま芋で、トン汁をつくったら、ほこほこして美味しかった。ちょっと今晩は食べ過ぎた。これから大きなお風呂につかり、湯冷めしないうちにあったかお布団で眠るとしよう。

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午後の紅茶

冷たい雨が止んでお日様が出てきたら、暖かい南風。昨日乾かなかった洗濯物がすぐに乾きそう。

今日は子どもたちを医者に連れて行ってから、午後は草木の植え替え。その後は、そのまま食べるには美味しくないリンゴを買ってしまったので、アップルケーキを焼くことにしよう。シナモンをきかせて。

いたって簡単。卵二つにお砂糖混ぜて、いちょう切りにしたリンゴを混ぜて、ベーキングパウダーと一緒にふるった小麦粉を混ぜて出来上がり。

香りの良い紅茶と、焼きあがったケーキで、ほっと一息ティータイムを楽しもう…。

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2005/11/11

絵本の思い出

ちいさいおうち
バージニア・リー・バートン文・絵 / 石井 桃子訳
岩波書店 (1991)
通常24時間以内に発送します。

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2005/11/10

♪時代

このあたりは、40年くらい前の分譲住宅地。昔は、見渡す限りススキの山だったという。駅まで行くのに、泥んこ道を延々歩かねばならなかったらしい。向こうの丘には縄文時代の落とし穴の遺跡があったというから、獣道があって猪や鹿が走り回っていたんだろうなあ。そして、人間がいて、丘と丘の間には川があり、集落があったりしたのだろう。今は住宅地に変わったけど、川の道筋だけは残り、散歩道になり、その周りには人びとが集まる店がある。

我が家の近隣には同じ頃に建った家が並ぶが、この10年ほど世代が変わって建て替えが進んだ。残ったのは我が家とお隣だけ。ペンキを塗り替えたりなんだりで、古い家の手入れは大変だ。しかしここへきて、ついにお隣の未亡人が土地と家を売却し引っ越していった。お陰で隣は、今工事の真っ最中。毎日我が家の前に工事車両が並ぶ。今度は2つ家が建つようだ。

隣の家には昔、大きな秋田犬がいた。ジローという名前で、子どもが好きな犬だった。私の家にはまだ犬がいなかったから、私たち子どもはジローを見たくて、庭からよくお隣を覗いたものだ。そうするとジローは尻尾をふって喜んでくれた。おとなしくてかわいい犬だった。お隣の奥さんも、ジローみたいにおとなしい人だった。そこのお嬢さんが音大を出たので、妹などはしばらくピアノを教えていただいた。そういうかかわりのある家が、また一つなくなって、なんだかとっても寂しい。

私の家は今は2世帯になっているので私たちが離れに住まわせてもらっているわけだが、母屋の親も年だから、これから先どうなるのか、と考えてしまう。庭の草花をこよなく愛している母は、腰が曲がろうがなんだろうが毎日庭に出て、手入れを惜しまない。だけど、もうあと何年続けられるだろうか。ひしひしと時代の波が押し寄せているのを感じる、今日この頃である。

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♪くる朝ごとに

IMG_0003 つわぶき。

向田邦子の短編に出てきたのが、これ(「花の名前」)。

葉っぱからのびた茎の先に、かわいく咲いている。

南なのに、ちょっと日陰になっている。

今度は、ベランダ。東側。

二つ目の綿が開いた。

他の綿も、姿を見せてくれないかな、と毎日待っているのだけど。IMG_0005

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2005/11/09

万葉の里

母が旅に出る。大好きな万葉集の先生が率いるツアー。新幹線だと高いから、バスで万葉の里を訪ねるという。

日程表を見たら、盛りだくさん。名跡めぐりの合間に、先生から解説をうけ、ほほう、は~なるほど、と知的好奇心が満たされるということ。母はこういう旅行が大好きだ。

しかし寄る年波にはかなわず、最近は腰も曲がって疲れやすい。膝も痛い痛いと言っている。それなのに、こんなハードスケジュールで、一体大丈夫なんだろうか。バスに長時間揺られ、目的地に着き、乗ったり降りたりの繰り返し。とても疲れると思うんだけどなあ。

何かあったときのために、私の連絡先書いてくれたわね?と尋ねると、そんなの書いたことない、と言う。えっ、大丈夫なの?そんなので。とにかく歳なんだから、少しは相談して決めて欲しかったなあ。行きたいのはよくわかるけど。

帰ってきたら、どれだけくたびれているのだろうか?くたくたになって、へたり込んでいる母を見ると、とってもこちらが落ち込むのだもの。もうそろそろ、旅の楽しみ方をかえないとね、お母さん……。

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2005/11/08

秋の庭から

IMG_0051 IMG_0052

秋の庭に出ると、小菊がようやく咲き始めた。温かい色が好き。

紫式部の、紫色。鮮やかで、とてもきれい。

IMG_0053 コエビソウ。海老に見える?ちょっと繁り過ぎみたい。

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2005/11/07

チョキ・チョキ・チョキ

髪型がくずれてきたので、美容院に行きたいと思った。でも、時間がない。これくらいの年齢になると、やっぱりパーマかけなきゃ貧乏臭いと思うけど、パーマには時間がかかるのだ。

今日の帰りどうにも我慢できなくなって、駅ビルにある1500円のカット代で済むクイック美容室に飛び込む。恥ずかしくないのかい?と頭の中でもう一人の自分がつぶやくが、それよりもこのみっともない伸び放題の髪のほうが問題だ。

先月は高いお金を払って、行きつけの美容院でエグゼクティブ・ディレクターにキレイにしてもらったんだから、と自分に言い聞かせて、今日のクイック美容室では「とにかく伸びた分だけ切ってください。」と頼む。チョキチョキ・チョキチョキ。ハイ終わり。

まあとりあえず、さっぱりした。一番最後にブイ~ンブイ~ンと細かい毛を吸い取るのが、面白い。どっかの営業のサラリーマンみたいだな、私。恥ずかしくないのかい?と、またもう一人の私がつぶやく。まあ、なんでも経験だ。1500円と思ったら、今セールで200円引きだって。じゃ明日にでも息子を連れてくるとしよう。知り合いには目撃されなかったようだし。よし、よし。来月はまた、私は高いお金払ってエグゼクティブ・ディレクターに頼むから、いいってことよ……。

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2005/11/06

蜜柑

私は蜜柑が昔から好きだった。今年も蜜柑がもう甘くなったので、山ほど買い込んである。いくらでも食べなさい、と子どもたちに話す。普段子どもたちに私が教えている言葉。それは、「朝食の果物は金(きん)」。朝果物を摂ると、一日元気に過ごせるらしい。(婦人の)友の会にいたころ教わった。特に柑橘系がよいとのこと。グレープフルーツなんかいいんだけれど、子どもたちにはちと苦い。食べやすいのは、やっぱり蜜柑。昨シーズンまでは林檎の皮をむくようにぐるぐると細く剥いていた息子であるが、今年はちゃんと普通に剥けるようになっている。むしゃむしゃとよく食べる。一口で丸ごと、なんてこともやっている。

彼には、一口で蜜柑を食べてぐらぐらだった歯を一緒に知らぬ間に飲み込んでしまったという悲しいエピソードがある。彼は抜けた歯を私に見せたいという気持ちがずっとあったので、飲み込んでしまってショックだったのである。それ以来懲りたかと思いきや、やっぱり一口で丸ごと一個いけるか、というスリルを毎回味わいたいらしい。

私の母は、あまり子どもに優しくない人だった。忙しくて、かまっていられなかったのだと思うが、私は子ども心に寂しかった。優しくしてもらった思い出は、数えるほどである。その中の一つに蜜柑にまつわるものもある。2歳か3歳だった私たち姉妹を掘り炬燵に座らせて、蜜柑の皮をひとつひとつ剥いて食べさせてくれた遠い記憶。たぶんその冬のことだろう。手袋を編んであげるから、なんの模様にしてほしいか言ってごらん?と母に言われ、じっくり考えて「サリーちゃん」と答えたときに見せた母の困った顔が、その蜜柑の思い出とともに甦る。

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2005/11/05

『わたし いややねん』

『わたし いややねん』(吉村敬子・文 松下香佳・絵)(偕成社 1980)

図書館で、他の本の間にひっそり埋もれていた本。タイトルにひかれて借りてきた。寝る前にちょっとひらく。車椅子の表紙。中も全て大きく描かれた車椅子の絵。脳性麻痺の作家の文に、いつも彼女の車椅子を押してくれる友人がつけた絵。シンプルで、やさしくて、強い本。

わたし でかけるの いややねん………みんな じろじろ見るから いややねん………先生が いわはった 「強い心を もちなさい 強くなりなさい」って

吉村敬子は、いろいろ考える。強くなるにはどうしたらいいか。でも いきついた言葉はこれ。

そやけど なんで わたしが 強ならなあかねんやろーか

私たちはみんな同じ人間だ。不自由なところがあろうがなかろうが、見た目が皆と違おうがどうだろうが。私は子どもたちに、想像力を持ってもらいたい。この絵本を読まなくたって、じろじろ見られた人の哀しみをわかる心を持ってもらいたい。でもこの絵本を読んだなら、きっと誰だってわかるはず。どんなにじろじろ見られることが嫌なことか。私が心がけていること。それは、ちょっと違う人がいたとき、好意ある無関心をよそおうこと。

以前読んだ本を思い出した。

ジロジロ見ないで

これも考えされられる本である。

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金子みすヾのこと

先日、金子みすヾの生涯についての本を読んだ。数年前に、映画やドラマになったものの資料になったと思われる本だ。童謡詩人金子みすゞの生涯 。やさしい言葉で果てしなく広がる宇宙のような詩を作り出した詩人が、女性としては不遇で、最後には幼い子どもを信用の出来ない夫にとられたくないばかりに抗議の自殺をしたことに、こころをいためた。

まざあぐうすさんの愛読書である、三宮麻由子さんの岩波ジュニア新書目を閉じて心開いてを読んだばかりだったので、魂の自由とか永遠とかそういう言葉がこの2.3日、頭から離れない。金子みすヾは、芥川龍之介が死んだ昭和2年の3年後に自殺している。芥川がその時代に感じていた漠然とした不安とは別に、みすヾは時代ゆえに権利を主張できず死を選ぶしかなかったのだが、魂は最後には自由を感じていたのではないか、と思ったりしている。

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2005/11/04

茶母(たも)~チェオクの剣

楽しみだったNHK衛星第二放送の「大長今(チャングムの誓い)」が先週で最終回を迎え、今週からチェオクの剣(茶母~たも)が新しくが始まった。アクション時代劇のチェオクの剣って一体何?と思っていたら、あの有名な茶母~たも~のことだったとわかり期待が高まった。

見てみると、なんといっても主演のハ・ジウォンの存在感が大きい。今まで、「秘密」とか「バリでの出来事」など、意地悪な小悪魔のような役回りの多かった現代娘が、時代劇でどんな演技を見せるのか楽しみだったのだが、茶母でも表情の一つ一つがすばらしくて、とにかく脱帽。

ドラマ自体は、最初から竹林でのアクション。映画「グリーンデスティニー」のよう。ドラマでこれだけのワイヤーアクションを使うとは、すごいダイナミック。導入で、最終回の死闘をまずは見せてくれたようだ。17世紀の貴族階級がのさばり民が疲弊しきった韓国で、警察の下働きをする女~茶母(たも)であるチェオクは、剣の達人。幼い頃兄と生き別れになり、その後兄のように慕っていた人物を支えるべく、茶母として働いている。しかし身分が違うので、思いを寄せ合っても二人は結ばれることはない。一方、贋金をつくっている反体制グループを調査するうち、あやしい人物が現れて…。血をわけた兄妹の再会はなるか?といったところがドラマの見どころのようだが、アクションシーンには目をうばわれる。少林サッカーもびっくりである。

時代はチャングムからさらに100年以上新しくなり、日本でいえば、徳川綱吉のころとか。これから毎週楽しみである。はらはらどきどき。音楽もロックだったりして斬新だけど、チャングムの♪オナラが今は懐かしいような気がする。

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2005/11/03

バザーの季節

11月は私にとってはバザーの季節。今日3日文化の日は、毎年楽しみにしているバザーがあって、今年も息子と娘を連れ立って出掛けた。

10時開始で私はその少し後に到着したが、もうすごい人だかり。入り口のテントでは、知り合いがまるで職業のように上手にお好み焼きをつくるので、面白くて、私は子どもたちとずっと見物。鮮やかな手さばきである。呼び込みの怪しげな歌声も披露されて、つられて2つ買ってしまう。700円が飛ぶ。中に入って、50円のローレルの葉の詰め合わせ。知り合いのお宅の庭で取れたのを乾かしたらしい。お買い得なので3袋買う。娘にGAPのワンピース。中古品だけど、お買い得だったので買う。400円。喫茶室では、ケーキとお茶。1000円が飛ぶ。婦人たちの手作り品のコーナーでは、かわいいランチョンマットとブックカバー(刺繍)。お札が飛ぶ。かわいいクリスマスの飾りもいくつかゲット。息子は、『エルマーとりゅう』のりゅうのぬいぐるみを、娘はお嫁さんのベールを、お子様コーナーでゲット。二つとも手作りで、とっても素敵。幼稚園のゲームコーナー。100円玉が飛んでいく。戦利品は、コアラのポシェット(お菓子入り)。クリスマスのオーナメント、スライム・の・ようなもの。私は最後に、賞味期限まであと1日、という値下げ品の海苔をゲット。やれやれ、これくらいで出費はお終いか、というところで、プロの演奏家の友人が参加したというCDを見て、サインをしてくれるというから、またもや買ってしまった。ハイ、2,500円なり。わ~1万円が、無くなったぞ~。

懐かしい友人に会えたし、気に入ったものを手に入れて、満足は満足。私の出身教会のバザーなので、いくらでも貢献したいところだけど、やれやれ。出費がかさんだ。日曜には、ボーイスカウトのバザーもひかえているし。財布の紐をしっかりとしめなくては。まだ月初めだしな。

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2005/11/02

親子でクッキング

私はもう今日はへとへとで、仕事帰り電車で熟睡。二駅も先に行ってしまった。夕飯のメニューは、甥が修学旅行で居ないから、鬼のいぬ間にシチューと決まっているのだけど、作るのがしんどい。ということで、帰ってから息子に一声。「ねえねえ、ゲームばっかりしてないでたまには料理してよ。」と、俄然のってきた。やった~。

まずは材料。たまねぎ人参じゃがいもにシメジ。ベーコン鶏肉ってところ。ブロッコリーは買い忘れたので、あとから買い足すとして、調理開始。息子、鍋の前でいためたくて仕方ない。自分は、シメジを切ってみたいとのこと。さっそくベーコンに肉・たまねぎ・人参を順にいためてもらう。息子、結構やるじゃん。その後水を足してぐらぐら。灰汁を丁寧にすくって取り除いてくれる。これには助かる。しめじは、適当に石突をとってほぐしている。思ったより簡単だったようだ。私はその間に娘のお迎え&お買い物。サラダに切り干し大根を、と思ったら、こちらも緑が足りないので、結局ブロッコリーとブロッコリースプラウト・プチトマトを購入。

帰ると息子、まだ灰汁を取っている。そんなに丁寧にしなくてもいいんだよ、と言ってみるが、息子は一生懸命である。大急ぎでブロッコリーをゆで、シチューにシメジやマカロニと一緒に入れる。サラダは切り干し大根を水でさっともどして、私のお気に入りのせいきょうの和風ドレッシングとブロッコリースプラウトと混ぜるだけ。これが美味しいんだな。

ということで、シチューは最後に素を控えめに入れて、出来上がり。とっても上手にできたので、息子は嬉しそう。みんな熱々のシチューとパンとサラダとデザートの柿で、大満足。でも味が薄すぎた、と言う。じゃ、残ったのに明日は塩を足そうね、というと、塩を足せば美味しくなるの?というので、明日の朝やってみてもらうことにする。これからも手伝ってね、というと、今度はカレーに挑戦したいという息子。実はたまねぎ2キロを40分いためてつくる、本格カレーの作り方を、薬局においてあった料理本で見たばかり。二人してため息ついて、おいしそうだねと話し合ったのだ。ということで、「そうだね、あなたの鼻炎が治ったらね。」ということになる。耳鼻科の先生から、鼻炎にはカレーが悪いといわれ、現在控えているのである。早く治ってくれないかなあ。そしたらカレーに挑戦できるんだから。

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2005/11/01

♪球根の中には

今日から11月。少し遅くなったけど、今日は帰りにチューリップの球根を買った。週末に植えようと思う。

球根といえば、この讃美歌。息子がキリスト教の幼稚園に通っていたとき、こどもたちがうたっていたもの。

♪球根の中には 花が秘められ~さなぎの中から いのちはためく~寒い冬の中 春はめざめる~その日 その時を ただ神が知る

なんだか、いいでしょう?種にしたって、球根にしたって、本当に不思議。土の中からやがて芽が出て、キレイな花を咲かせるのだもの。

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