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2005/11/15

一粒の籾

今日娘の保育園の年長クラスで、籾から育てた稲からとれた米を精米し、2合半になったものを炊いて、おにぎりを作り食べたとのこと。一人当たりはたったの一口だったと思うけど、娘は満足そうだった。

学生時代、考古学のサークルにいた私は、文集のタイトルにもなっていた「一粒の籾」という言葉は、考古学者・森本六爾の有名な言葉の一部と思っていた。「一粒の籾、若し地にこぼれ落ちたらば、遂にただ一粒の籾に終わらないであろう。」

しかし社会人になり、教会に通うようになって、これが聖書の有名な聖句であったことを知った。新約聖書ヨハネによる福音書12章24節。新共同訳になるとこうなる。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」

聖書での一粒の籾は、イエス・キリストのことを示すわけであるが、娘の保育園で育てた籾は、宗教とは関係なく、生命の神秘収穫の喜びを子どもたちに教えてくれたようである。

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コメント

有名なキリスト教の箴言ですね。
その一粒一粒。小さいうちからタネのありがたさが実感できるでしょうね。おぉ。思い出しました。14ひきのねずみさんのおじいさんが、こう言うんですよ。「いのちのタネだね。」これもいい言葉でしょう?
(^^)
--(や)--

投稿: 山猫編集長 | 2005/11/15 22:31

山猫編集長さん、おはようございます。
おお、14ひきはですね、
おいもほりのしか持っていないのです。
さつまいものほうです。
「いのちのタネ」~いい言葉ですね。
命の朝顔、のことも思い出してしまいました…。

投稿: ののか | 2005/11/16 07:25

突然のコメント失礼します。
一籾の粒で検索したら最初にこちらが
ヒットしておじゃましました。

考古学サークルの文集のタイトルが
「一籾の粒」だったのですね。

もしかしたら目白の大学にあったサークル
でしょうか。そうならば私も部員だったことが
あります。もし違っていたら、大変失礼しました。つい、懐かしさにコメントさせていただきました。

投稿: しばちゃん | 2007/05/31 23:10

しばちゃん先輩、おはようございます。
一代下の、私が誰だかわかりますか?

私のサークルでの一番の思い出は、飛鳥の里をみんなでサイクリングしているときに、自転車に不慣れな私は田んぼに落下し、しゃくりあげて大泣きしたことです。あのとき優しくしてくれたのは、ボーイスカウトでならした○○先輩でした。

こんな小さなブログを見つけてくださって感激です。また遊びに来てくださいね。

投稿: ののか | 2007/06/01 08:13

ののかさん。お返事有難うございます。
考古研のあのひと時を一緒にすごせた人と
めぐり合えてとてもうれしいです。
でも本当にごめんなさい。
はっきりとあなたねって言えません。
こちらにおじゃましながら、すこしづつ
あのときのことを思い出せたらと思います。
よろしければ、また寄らせてください。

投稿: しばちゃん | 2007/06/01 22:24

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