祖父の恵みを読んでいる。私にとって、これほど魂に響いた本はいまだかつてない。なぜこれほど心が揺さぶられるのだろうか。私の心を捕らえて離さないものは、一体何なのだろうか。私がこの本に出会ったのは、同じ著者の処女作失われた物語を求めて(キッチン・テーブルの知恵)と同じく、雑誌の連載によってであった。
著者は、1938年生まれのレイチェル・ナオミ・リーメンという、がん患者がん専門医のセラピストをしている女性である。クローン病という難病に16歳のときに侵され6ヶ月間こん睡状態にあり、40歳まで生きることはないだろう、と絶望視されたことのある彼女は、母親の献身的な看護と勇断により、数回にわたる手術を経て再び医療の道を進んだ。奇跡のように。そしてその後その道で大業をなしとげ、元気に今なお活躍している。カウンセラーとして彼女の前で語られた多くの患者の物語をつなぎあわせたのが、『キッチン・テーブルの知恵』である。そのひとつひとつの物語~患者となった人びとが苦難にむきあったとき見えてきた、人間としての深い叡智を紹介する。著者はその物語によって、自らも癒されたのである。
2作目の『祖父の恵み My Grandfather’s Blessins:Stories of Strength,Refuge,and Belonging』は、ユダヤ教の伝統派のラビであった祖父とナシュメレ(レイチェルの呼び名)が、祖父が彼女が7つのときに亡くなるまでの間、宗教を嫌っていた両親から隠れて密かに二人で語り合った教えが、彼女の人生にどれだけ深く影響を与えたかが書かれている。一時期医療の道を進むことで、人間の叡智から目を背け、科学的にいかに病気や患者と対応するかに目を奪われていた著者が、やがて主に癌という病のために、傷や悲しみ・失望・喪失を体験した人びとがそれとどう向き合っていくかということにかかわり、やがて祖父に教えられた人生の深い真実に向き直っていくことになる。
私は連載された物語の中でも、特に印象的だった「ハートを握りしめて」を再び読んでみた。そしてまた、心が揺さぶられたので、ここにそのエピソードを紹介したいと思う。
アメリカのワシントン州タコマに、ブリッジスという団体がある。そこは、死別を体験した子どもたちに手を差し伸べる事業をしていて、ポケットに入れることの出来る大きさのハート~慰めのハート~を作リ子どもたちに贈り続けているというのである。そのハートはボランティアによって、ベロアかベルベットでさえあれば、どんな古着からでも作られるという。そして贈られた柔らかいハートを握りしめて、子どもたちは悲しみを味わい、そのハートをなでて愛されていたことを思い出し、自分たちも愛することができることを知る。子どもたちは必要な限りそのハートを持っていて、死別の悲しみに打ち倒されそうになったとき、ハートの柔らかさに慰めを見出す。そして、今度は困難なときを過ごしているほかの子どもたちに、そのハートをあげることもあるのだという。また、両親が離婚したときにある女の子はハートを父親にあげた。またある男の子は、学校の先生が小さな息子を亡くした時に、自分の持っていたハートをあげたという。このように、悲しむ自由を持てるとき、私たちの喪失は自然に思いやりに変わるのである~。
私はこの話が忘れられなかった。数年前病を得て入院をしたとき、私は子どもたちと離れ、孤独だったし不安だった。病室を訪れてくれる人と話をするのが慰めだった。それはときには見舞い客であり、毎週訪れてくれる牧師であり、ときには医師であり、ときには同じ病院に入院している患者だった。私の枕元には、聖書と讃美歌のほかに数冊の本と、この話が掲載されていた雑誌があった。ある夜当直の看護士がこの雑誌が並べてあるのを見て、私もこの雑誌昔読んでいたわと言って、一晩の約束でその人は借りて帰っていった。そして私が感動したといったこの記事を読んでくださったのだろう。次の日看護士は私に、お礼にこの本をさし上げるわと言って、一冊の本をくださった。ライフ・レッスンというその本も、その思い出と共に、以来私が大切にしている本である。
追記(2011.4.10)
東日本大震災のあと、慰めのハートへのお問合せが増えました。個人的にお持ちだった方から、昨日型紙をとらせていただき、大きめの手の型のサイズ、女性の普通の手のサイズ、子どもの手のひらサイズの型紙をアップしますので、ご利用いただけたら幸いです。 【お子様サイズ】 【普通サイズ】 【大きめサイズとの比較】
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