よあけ
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父の病のことで大変な家の状況であるが、昨日はいいことがあった。
子どもたちが、保健室から教室へ行けたのである。
お祝いしてあげようと思って、昨晩は母と手巻き寿司を用意して、子どもたちを褒めてあげた。
その様子はコチラ。 刺身購入の様子は食日記に書いたのでどうぞ。
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実は、父の具合がよくない。昨日はきょうだい4人が医師に集められ、病状の説明を聞かされた。今すぐどうこうということはないらしいが、老人のことであるから、予断は許さない状況だということ。医師の去った部屋にのこった私たちは、今後について時間をかけて話し合った。それからみんなで父を見舞った。4人が全員揃うのは、正月以来のことである。
父は酸素を鼻からチューブで入れて、うつらうつらしていた。時刻は午後五時に近くなっており、カーテンを開けると空の中ほどには十三夜の月が輝いていた。うっすら眼を明けた父が月を見つけて「今日は月がきれいだ。」とつぶやいたので「今日は十三夜だよ。」と教えたら、「樋口一葉の小説だ。」と教えてくれた。
氷枕がほしいというので介護の人にお願いし、ベッドの柵に足があたるというので身体の位置をずらしてもらった。部屋のアルバムには、私たちの小さいときの写真が何枚も貼ってある。それらをきょうだいで眺めて、「こんなにパパ若くてかっこよかったの。」「懐かしいなあ。」と言いながら、父を囲んで不思議なひと時を過ごした。夕食の心配もあるので長居はせず、みんなは帰ることになったけれど、父が背中が痛いというので下の兄が付き添って残ってくれた。
帰り道は上の兄のほうの義姉さんが合流して、駅まで一緒に歩いた。それから妹と二人電車を乗り継いで家に戻ると、母が孫たちの面倒をみてシチューを作って待っていた。シチューにピーマンが入っていたと、娘は渋い顔。息子はピーマンのおかげでおいしいと言う。私はお土産のシュークリームとプリンの箱を開けて、十三夜の話をみんなにした。子どもたちを寝かせる時刻には雲が出て、月は隠れてしまった。あんなに美しく輝いていたというのに。
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このところ、毎朝こどもたちを小学校に送っていく。二人とも夏休みが終わってからなかなか登校できない日が続いていたが、10月の連休が終わってからは、こうして私が一緒に家を出ると保健室でなら勉強できるようになった。
今朝家を出てふと空を見上げると、抜けるような青空。「わぁ。こういうのを、雲ひとつない秋晴れっていうのよ。」と私が言うと、娘が「秋晴れがあるなら冬晴れもあるの?」と聞いてきた。「あるような気がするけど、春晴れと夏晴れは聞いたことないな~。」秋晴れのもと、子どもたちは息を切らして私の自転車と一緒に走り、校門をくぐって保健室に駆け込んでいった。
今日は修学旅行の準備や遠足の準備があったのに、二人ともまだ教室には行かなかったらしい。やきもきするが、まあいずれは階段を上って教室に行くだろう。時が来るまで待つしかない。
明日は十三夜だそうだ。娘は遠足で、夜にはくたびれてしまうかな。でも一緒に、キレイなお月様を一家で眺めてみたい。平和なときは、いつまで続くかわからないから。
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この頃、子どもが巻き込まれる痛ましい事件をニュースで見るたびに、
「犯人はいったいどこのどいつだ?」
「まだつかまらないのか!」
「警察は何やってるんだ!」
「こうなったら私が超能力を身につけて、謎を解いて犯人を捕まえてやる。」
と考えてしまう私。
なんとか解決したいことだらけ。
だけど解決できないことだらけ。
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息子が寝る前に、「僕は数学で身をたてたい。」と熱っぽく語ってくれた。
それを聞いていた娘は、「身を立てるってどういうこと?」と尋ねるので、息子はお兄ちゃんらしく、「それでお金を稼ぐということだよ。」と説明していた。娘はよくわかったらしい。
翻って考えてみると、私の夢はなんだっただろうか。
小さい頃テレビで放送していた「白鳥の湖」を見て「絶対バレリーナになる。」と思っていたのに、足を怪我してあきらめた。絵本作家になると思って誰にも見せない本を書いていたのは小学校1年生のとき。でもいつの間にか、そんな夢は忘れてしまった。小学校の卒業アルバムには、将来の夢はお嫁さんと書いたな。夢は破れてしまったな…。
「夢はなかなか叶わないものだ」と大人になればわかるけれど、やはり自分のこどもには♪夢をあきらめないで 生きていってほしいと思う。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい(新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章12節)。
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子どもたちの登校拒否も、先週はなんとかおさまり、一週間登校することが出来た。送り出す私は、どきどきひやひや。とてもくたびれたが、ともかくよかった。
保健室から教室へは行けなくても、まずは始められるところから始めよう。登校班での登校はもはやとても気まずくて無理なので、一時間目が始まる頃に私と登校。校庭のこどもたちに見られたくないので、校門から一目散に校舎の裏にまわり、保健室の裏口から校舎に入る子どもたち。あとは養護の先生や教務主任や校長先生にバトンタッチ。
私は夏以降、上の子に続いて下の子までも学校へ行かなくなり、それが長引いてすっかり精神的にまいってしまったので、先週は子どもたちが頑張る気持ちになってくれたことが、ただそれだけでも嬉しかった。「客観的に考えると、お母さんの言うとおり、秋休みのあとからまた学校に通いだしてもおかしくはないと思えるようになった。」と話してくれた息子。家でだらだら過ごし、フリースクールの日ははりきって勉強という生活のなかでも、ずっと学校のことが気にかかっていたのね…。
土曜日はいとこたちが遊びに来て、うちの子どもたちは楽しく家で遊べたし、今日は教会やらフリースクールの楽しい行事で気分転換できるだろう。また明日から始まる一週間に期待たいところだが、期待はしすぎないようにしておこう。
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今日は登校2日目。息子は朝の7時にピヨピヨと目覚まし時計が鳴ったにもかかわらず、8時になるまで布団をかぶったままびくともしない。私はいらいらして声を掛ける。何度もかける。最初はやさしく、次第に怒りの口調で。そうしてろくでもない朝のなじりあいが始まる。私はこの息子が、何にこだわってここまでのろのろとしているのか、どうしても理解できない。私をわざと困らそうとしているようにさえ感じるほどで、折角用意していた朝ごはんまで気まずいものになる。本当にこんな朝は、うんざり。もうごめんである。
結局1時間目が始まってから二人を連れて保健室へ到着。兄がこんな調子だから、妹はひきずられて可哀相に見える。この二人をどうやってそれぞれの個性を伸ばして大きくするか、私独りではとてもいい知恵が浮かばない。
私は二人の留守中腰痛の治療や美容院に行こうと計画していたが、あまりにも不愉快な思いをしたので元気が出ずに家で寝ていた。やがて楽しそうに帰宅。息子には私の悲しみはわからない。娘は私を心配して、帰るなり柿の種をくれた。ありがとうよ。そのあとひとしきり遊んでから、DVDを返すために3人で車で外出。ツタヤのそばの理容室で、何ヶ月ぶりかで息子の髪をカットする。息子にしてみれば、私への贖罪のつもりなのだろうか。
そのあといつもの生協に行って、秋刀魚を4匹買った。今晩は秋刀魚の塩焼き。秋刀魚の味は美味しかったかな?それともちょっぴり苦かったかな?私は子どもに相手にされないまま、皿を洗い今パソコンに向かっている。今日も早く眠りたい。そして明日の朝は、エネルギーを使わなくてもすんなりとお子達が学校に行ってくれることを願うばかりである。
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10月10日は体育の日。それがいつのまにかハッピーマンデーとかで変わっちゃったのであるが、私は今でも10月10日といえば、東京オリンピックの開会式というイメージなのである。
ついでに10月10日は「眼の日」。今日こそ息子をとこやさんに連れて行って、髪をさっぱりさせたい。目にかかる前髪を切って、視力をなんとか確保したい。眼鏡をかけるのは遅ければ遅いほどいい。わが家には余分なお金はないのである。
面倒ばかりでまったくうんざりさせてくれる息子であるが、昨日の朝は有難かった。私のお財布の中身が22円しかなく、借金を申し込んだら財布ごと貸してくれたからである。すごいな~。お札しか入っていなかったから、昼ごはん代を使った後仕事帰りに銀行に寄り、元の金額に財布の中身を戻して、それからごそごそ鞄の底を探しているときに見つけたコインを二つ追加しておいた。感謝の気持ちである。
母さんと将棋をしたい日は、そいつで缶チューハイを一本買っておくれ!もちろんつまみは、いつもの柿の種だよ。
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連休最終日、のんびり過ごした私たちは夕方になって車でニュータウンまで出かけた。あいにくの空模様のもと、車は快調にすべるように走る。車内に流れている曲はウルトラマン。ダイナとかティガとか、調子のいいこと!
お出かけの目的は、図書館におもちゃ屋にサーティーワン。スポーツ用品店も見たかったが、おもちゃ屋だけで大分疲れた。喉が渇いたからアイスを食べようと外に出たら、「虹だ!」と息子が叫んだ。
久しぶりに見る虹。以前住んでいた町は虹がよく架かった。副虹なんてのもたまには見られた。しかしこちらに越してきてから、私が虹を見たのは初めて。
夕暮れ時だったので虹は段々薄くなっていったけれど、疲れた私に虹を通して希望を思い出させてくれた存在に、こころからお礼を言いたい気分であった。
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秋休みである。おりしも近くの神社の方角から、祭囃子が聞こえる。昨日も今日も、その賑やかなこと!行ってみたいなあと思うが、なかなか時間がつくれない。今日は日曜なので私はいつものように子どもと一緒に教会に行き、礼拝と聖餐式に出た後、こどもたちを牧師さんの家と妹の家にまかせて父の見舞いに行った。父はここから一時間半くらいのところに、家族と離れて暮らしている。
介護施設に入って3年。脳のダメージを抱えつつも穏やかに暮らしていた父は、この7月にてんかんを起こして入院して以来、すっかり調子をくずしてしまった。薬の副作用でこのところ全然元気がないとは聞いていたが、おやつの時間だというのに部屋で熟睡していた。夜眠れないから、その分昼間に寝てしまうらしい。あれだけ神経の細かい人だったのに、時間に無頓着になってしまって別人のようである。丁度父の入浴の順番がきたから起こしてみたら、すんなり目覚めた。一番気の合うヘルパーさんに付き添われ車椅子で浴室に向かった父を見送り、私はしばらく部屋で待った。締め切っていたカーテンを開け、キンモクセイの香りが部屋に満ちるように窓を開けて30分ほど待った。それからようやく部屋に父が戻ってきたのだが、気持ちよくなったあとだというのに父はさっぱり元気がない。嬉しいのか嬉しくないのかもわからない。
仕方なく私がきょうだいの子ども時代のアルバムを出して話をしたら、ようやく気分がのってきたのがわかった。「昨日から家にいると祭囃子が聞こえてくるのよ。秋のお祭りみたいだよ。」と話しかけると、「懐かしいなあ。」とぽつり。元気な頃は毎日近所を散歩していた父。酒もタバコも夜更かしも控えていれば、今でも元気に歩き回っていたろうに。全く残念なことである。親なんてものは、こちらが大人になって言いたいことを言わせてもらいたいと思った頃にはこうやって年老いてしまうものなのだろうか。私は複雑な心細い気持ちのまま家路についた。
この頃は日暮れが早い。私が家にたどり着いた頃には外は真っ暗。そしてなんだか家の中が変な雰囲気。やっぱり私がいないとまだまだ小さい娘の方は心細いらしい。私は圧力鍋でカレーをこしらえて、さっさと家族の夕食を済ませた。今日は簡単メニュー。カレーライスのブロッコリー添え。ナタデココ入りヨーグルト。早生蜜柑。そうして大河ドラマがはじまるころに、私は息子が秋休みのあとは登校してくれることを願い、教材を買いに車で外出。ヘッドライトを照らして急坂を降りると、神社のまわりが提灯で明るく浮かび上がり、祭り客が大勢参道を歩いているのに出くわした。やはりお祭りだったのだ…。
さて明日は連休の最後の一日。子どもたちは昨日も今日も沢山遊んでくたびれ気味。だから明日はのんびり過ごそう。でもせめて地元の村祭りには、そろって出かけたいものだなあと思う。
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宮部みゆきの『楽園(上)(下)』を一気に読み上げた。面白かった!
私は少女時代に読んだ筒井康隆の『七瀬ふたたび』の影響だと思うが、超能力にとても興味がある。この歳になっても、超能力者が未解決の事件に挑む番組などをテレビでやっていると、わくわくして見てしまう。そんな私だから、話題のこの本が超能力を持つ少年の描いた絵から話が展開していくので、ぐいぐい引き込まれてしまったのだ。
そして読み終わってみて、とてもよく書けていて満足したけれど、どうしてもひっかかるポイントがある。それは、ドンペリの謎だ。ドンペリは、一体どうしてあの絵に描かれていたのか?そこがどうしても、わからない。
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今朝の目玉焼きは、うまく具合に半熟に焼けたので気分がいい。
なめこの味噌汁とご飯。こどもたちは食卓パン。
それから今年初めての柿。そしてヨーグルト。
そんな朝ごはん。
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