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2008年1月

2008/01/31

ユーモア

父のヘルパーさんのうちの一人が、父のことをロビン・ウィリアムスと似ているとおっしゃる。「パッチ・アダムス」主演の俳優さんである。

ユーモアが人生でいかに大切かということを教えてくれる映画の主人公の、そういえばほっぺたが似ているような気がする。

そんな父は、確かにユーモアのある人だ。先日もかなり認知症がすすんでいるはずなのに、「痛いところはなあい?」と尋ねると「痛いところはないけれど、言いたいことは沢山ある。」と返事をされて、苦笑いをしてしまった。なんだかすごいなあと思った。

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2008/01/23

雪だるま

Img_0045 折角の初雪も昼過ぎには雨に変わり、あまり積もらなかったので、雪だるまをつくったら庭の芝生があらわになってしまった。

それでも子どもたちは大喜び。

あとは家の中であったかいお茶を飲み、トランプを沢山して遊んだ。この頃我が家の流行は7並べ。何回やっても飽きない。毎日毎日7並べ。楽しい楽しい7並べ。

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2008/01/21

キリマンジャロの雪

先日DVDで映画「不都合な真実」を観た。地球温暖化問題についてゴア元副大統領の行った講演の流れで、これでもかこれでもかと温暖化が進んだ地球の姿が映し出され、私は大変ショックを受けた。

氷河が崩れる、南極の氷が解ける、ハリケーンは多発し甚大な被害をもたらす。大洪水の裏側では大干ばつ。このまま異常気象が続いたら、私の子どもたちが大人になるころには確実に生態系がくずれ地球はめちゃくちゃになっていくだろう。

私が昔大好きだった手塚治虫の「ジャングル大帝」のラストは、キリマンジャロの吹雪のなかで主人公のレオがヒゲ親父を助ける場面なのだが、このキリマンジャロの雪が温暖化の影響でもうほとんど残っていないということ。キリマンジャロの雪が解けるなんて。ってことは、雪をいただいた富士山も、やがて見られなくなるのだろうか。

“It's never too late to mend.”何事もあらたむるに遅すぎることなし。

今私たちにできることを、まずははじめよう。一人でも多くの人にこの映画を観てもらおう。そして問題の重大性に気づいたら、もはや他人事とは思えなくなるだろう。

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この映画については賛否両論あるようだが、懐疑的に観るにしても一見の価値はあると思う。いまさら、という感じだが未見のかたは是非。

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2008/01/17

語らい

昨日は引っ越していった友人のお宅にお呼ばれ。そういうことは久しぶりだったので、とても嬉しいひとときを持たせていただいた。

心のこもったおもてなし。穏やかな語らい。

ありがたいありがたい、心休まる一日でした。

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2008/01/14

アップルパイによせて

私は仕事にお弁当を持っていけないときは、大抵カフェテリアのベーカリーで焼きたてのおいしいパンを買う。大のお気に入りはシナモンロールだが、最近立て続けに買っているのはアップルパイ。さくさくして、本当に美味しい。

アップルパイといえば、私の父の大好物。ケーキ屋のものは冷たくて、どこが美味しいのかわからないと思っていたが、こうやって焼きたてのものを食べてみると、ああ本当においしい食べ物だなあと思う。と同時に、このアップルパイを、病の床にいる父に食べさせてあげたいと素直に思う。そして、クリスチャンでありながらついつい食前の祈りをおろそかにしている自分の心をただす気持ちになった。毎食気に入った食べ物を選び自由に食べることの出来るありがたさを、神に感謝しなければ、自由のきかなくなった父に申し訳ないと思う。

そんなことを朝寝床で子どもたちとおしゃべりしているうちに、出かける時刻が迫ってきた。大急ぎで支度して駅へ。子どもたちはパパと合流してお出かけ。私は父のもとへ。さて電車を乗り継いで父の所に着いたところ、朝見損なった「ちりとてちん」が始まるところだった。ラッキーだ。今日の父の機嫌は、とても悪かった。滞在した3時間のうち、父が穏やかな顔になったのは食事の時間をのぞいてあわせて15分もあったろうか。その小さな宝石のような瞬間に、私たちが父のお陰で大切なことに気づいたこと、感謝の大切さを知ったこと、アップルパイをママが好きになったのはおじいちゃんからの遺伝だねと息子が言ったこと、母が私の友人を交えた我が家での会食で朗らかな顔を見せたことなどを話したところ、父は素直に嬉しい顔をした。。

夕刻が近づき私が帰り支度をすると、父の眉毛は「ハ」の字になる。とっても困ったときの表情である。「君が帰ったあと夜までほうっておかれると、どうしていいかわからなくなるんだよ。」と言うので、「昔パパに贈ったパワーズの『足あと』という詩のように、神様はいつも一緒にいてくださるんだよ。大丈夫だよ。」と話してクリスチャンの私のやりかたで一緒に神様にお祈りをした。父と手を合わせて祈るなんていうことは、初めての経験である。父は宗教を持たない。何も信じていない。だけど死を受け入れるのは恐ろしいのだ。私はそんな父が気の毒でならない。なんとか恐怖を取り除く手伝いをしたいと思う。父は私の祈りの言葉に耳をじいっと傾け、最後に力強く「アーメン。」と唱えた。これでほんのひとときでも父の心の中から不安と悲しみと苛立ちが消えたなら、私はそれでもよいと思った。

どうか父が終わりの日には平安であってほしいと、心から祈る夜である。

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2008/01/13

NHKスペシャル第一夜:ドラマ「感染爆発」

昨晩はNHKで、「感染爆発」というドラマを見た。近い将来世界のどこかでおこるといわれている新型インフルエンザ集団発生の恐怖を描いたものである。

「ある国」で新型インフルエンザが発生し死者が出ているのをまだ他の国のものが誰も知らないとき、日本海側のある村で鳥インフルエンザと見られる患者が発生する。すぐに検体が専門機関に送られ、それが鳥から人だけでなく、人から人へ感染する新型のインフルエンザであることがわかり、専門家はどうやってこの被害を封じ込めるか各機関の長を説得するのだが、みな重い腰をあげようとしない。

そんな中、なんとか村を封じ込めることには成功したものの、最初の感染者とその村で接触した若者が渋谷の交差点で咳をし始めた。またたくまに東京に広がる新型インフルエンザ。タミフルもウィルスが進化したために効果はなく、次々と死者の数は膨れ上がり100万人にもなる。。。

恐ろしい。新しいウィルスに効果のあるワクチンを作るためには、何ヶ月も時間がかかるのだ。いかに早期に対処し決断し、感染爆発にならないために持ち場持ち場の長が判断をし決断をしていくか。。。

例え一つ間違ったとしても次には間違わないように、人間はいつからでもやり直せるのだとはいっても、このような多くの人命にかかわる問題においてはやはり、最高責任者の危機管理能力が問われるのである。日本は大丈夫か。今夜は第二夜として調査報告の内容がオンエアされるので、ぜひ注目してみたいと思う。

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2008/01/10

かぞくのじかん

今日は仕事が休みだったので電車に乗って、父の見舞いに行ってきた。父は点滴がとれひと月。鼻から酸素を入れなくても眠れるようになったようで、顔色は大分よくなった。栄養は、ペースト状になった食べ物を介助してもらいながら摂っている。多くの助けを借りて、生きながらえている。

しかし、何もかも介助を必要とした生活なので、イライラしがちである。私が行くと嬉しがってはくれるが、結構怒鳴られたりもする。これにはまいる。父が抱えているどうにもならない苛立ちや先行きが読めない不安な気持ちに寄り添いたいと思い、予定より長く相手をしているうちに夕方になった。私は家で待っている子どもの夕飯のことが気になって、段々そわそわしてきた。いつ帰ろうか?おやつの時間が終わりタイミングを見ているところに、父の親友が訪ねてくださったので、また少し帰宅の時間がのびる。折角来てくださったのにお相手しなければ失礼だと思うし、何しろ楽しいおじ様なのでお話をしてから一緒に帰ることにした。その方は父の認知症がすすんでいる様子を見て、気を落としておられる様子だった。父はぼうっとして、嬉しいのか嬉しくないのかも表情からは読み取ることが出来ない。何を言っているのか、受け答えもかみ合わない。しかもまだらボケなので、ときどきしゃっきりしたことを言うし、自分のことを様子がおかしいのがわかってしまいなおパニックになるのだ。

自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのか、誰に尋ねても納得できず、不安に押しつぶされそうになっている父の心に寄り添うことが出来るのは、人間の力を超えた存在だけかもしれない。私はその存在に祈ることしか出来ない。けれども父はその存在を受け入れることをしないうちに、混沌の世界に行ってしまった。そして帰り道も行き先も分からないで、助けを求めながらさまよっているのである。

かぞくのじかんは、段々に変化する。子どもの生まれたとき、育ち盛りのとき、巣立ちのとき、夫婦ふたりになったとき、私のように別々の道を行くことになる場合もあるが、親と子、きょうだいの縁は切れることはない。人生のまさかがいつ起こるかわからないのだから、家族で一緒にいるときには心の繋がりを大切にして、思いやりをもって相手の話を聞き一緒に悩み一緒に笑い、悔いのない人生を生きなくてはいけないなあとあらためて思った。

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2008/01/09

漢字の書き取りときょうだいげんか

仕事始めの2日目も終わり、昨日の夕飯はくたびれてカレーライスだった。でも、スパイスをきかせたのでとってもおいしくできた。結構なことだ。キャベツの千切りに寿司酢をかけた付け合せも、おいしかった。

そのあと、有線放送で息子が「続猿の惑星」を見たがったが、娘が怖がるので、娘と私は別室で漢字の書き取りの練習をした。こうやって書くんだよ、とお手本を書いてみせると、本当は字を書くことが大好きな娘は食いついてくる。「言う」「当番」「行じ」「大雨」「歩道」と何回も練習して、上手に書けるようになった。こんな小さな時間ですら、去年は気持ちの余裕がなくてつくることができなかった。今年は毎日少しずつ、こういう時間を作ってやりたいと思った。

そのあと娘が面白いパズルを何かの冊子で見つけて、熱心にといていたのだが、やっと映画が終わって手持ち無沙汰になったらしい息子が、それを乱暴に横取りしようとしたからきょうだい喧嘩になってしまった。もうすぐ完成だから自由にひとりでやりたかった娘が「嫌だ」「返して」と主張すると、息子は手を離そうとせずに「見てるだけにするから」「口は出さないから」といくら理屈を説明しても、気持ちがおさまらない娘は頑固にパズルを離さない。

それから30分。息子に軽く蹴っ飛ばされたりしながら、仲立ちをした私は、大きくエネルギーを消耗した。娘は耳をふさいで私と息子の議論を聞いていた。あ~疲れた。でも最後には、息子は娘の立場を理解し、自分のしたことが性急すぎて受け入れられなかったことも分かったようだ。きょうだいは仲直りして一緒にお風呂に入ったあと、スポーツドリンクをがぶ飲みして歯を磨き、1年半まえから育てているサボテンに霧吹きで水をかけて、それから寝た。

今日はまだ起きてこない。大丈夫か?息子は国会議事堂への社会科見学はすっぽかすそうだ。楽しいわけがない、僕には無理だそうだ。娘は昨日咳がひどくてお休みしたのだけど、今日はなんとかいけそうで、漢字の書き取りが楽しみだろうとおもう。

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このようにどたばたとした日常を今年も始めております。なんだかこの頃気分がのらなくて、ブログの記事更新が滞りがちですが、ぼちぼちいこう!と思っていますので、読者の皆様もどうぞよろしかったらお付き合いください。

ののかより

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2008/01/03

こころを高くあげよう

新年あけましておめでとうございます。年の初めのご挨拶のかわりに、私の大好きな賛美歌の歌詞を載せたいと思います。

【こころを高くあげよう】(讃美歌第二編一番)

こころを高くあげよう 主のみ声にしたがい ただ主のみを見げて こころを高くあげよう

霧のようなうれいも やみのような恐れも みなうしろに投げすて こころを高くあげよう

主から受けたすべてを ふたたび主にささげて きよきみ名をほめつつ こころを高くあげよう

おわりの日がきたなら さばきの座を見あげて わがちからのかぎりに こころを高くあげよう

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