アップルパイによせて
私は仕事にお弁当を持っていけないときは、大抵カフェテリアのベーカリーで焼きたてのおいしいパンを買う。大のお気に入りはシナモンロールだが、最近立て続けに買っているのはアップルパイ。さくさくして、本当に美味しい。
アップルパイといえば、私の父の大好物。ケーキ屋のものは冷たくて、どこが美味しいのかわからないと思っていたが、こうやって焼きたてのものを食べてみると、ああ本当においしい食べ物だなあと思う。と同時に、このアップルパイを、病の床にいる父に食べさせてあげたいと素直に思う。そして、クリスチャンでありながらついつい食前の祈りをおろそかにしている自分の心をただす気持ちになった。毎食気に入った食べ物を選び自由に食べることの出来るありがたさを、神に感謝しなければ、自由のきかなくなった父に申し訳ないと思う。
そんなことを朝寝床で子どもたちとおしゃべりしているうちに、出かける時刻が迫ってきた。大急ぎで支度して駅へ。子どもたちはパパと合流してお出かけ。私は父のもとへ。さて電車を乗り継いで父の所に着いたところ、朝見損なった「ちりとてちん」が始まるところだった。ラッキーだ。今日の父の機嫌は、とても悪かった。滞在した3時間のうち、父が穏やかな顔になったのは食事の時間をのぞいてあわせて15分もあったろうか。その小さな宝石のような瞬間に、私たちが父のお陰で大切なことに気づいたこと、感謝の大切さを知ったこと、アップルパイをママが好きになったのはおじいちゃんからの遺伝だねと息子が言ったこと、母が私の友人を交えた我が家での会食で朗らかな顔を見せたことなどを話したところ、父は素直に嬉しい顔をした。。
夕刻が近づき私が帰り支度をすると、父の眉毛は「ハ」の字になる。とっても困ったときの表情である。「君が帰ったあと夜までほうっておかれると、どうしていいかわからなくなるんだよ。」と言うので、「昔パパに贈ったパワーズの『足あと』という詩のように、神様はいつも一緒にいてくださるんだよ。大丈夫だよ。」と話してクリスチャンの私のやりかたで一緒に神様にお祈りをした。父と手を合わせて祈るなんていうことは、初めての経験である。父は宗教を持たない。何も信じていない。だけど死を受け入れるのは恐ろしいのだ。私はそんな父が気の毒でならない。なんとか恐怖を取り除く手伝いをしたいと思う。父は私の祈りの言葉に耳をじいっと傾け、最後に力強く「アーメン。」と唱えた。これでほんのひとときでも父の心の中から不安と悲しみと苛立ちが消えたなら、私はそれでもよいと思った。
どうか父が終わりの日には平安であってほしいと、心から祈る夜である。
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コメント
まことにまことにその通りです!アーメン!
一緒にお祈りができたなんて、なんという恵み!!
私も両親と祈りたかった・・祈りたい・・です・・
きょうはこちらに伺ってとても励まされました☆
投稿: ikko | 2008/01/18 13:13
ikkoさんへ。
いやいや、父はほんのきまぐれで「アーメン」と言ってくれただけかもしれないです。本当のところは私にはわからないけれど、とにかく父が安らかな気持ちになれたらどんなにいいだろうと思うと、私にはこういうことしかできないのです。
人の命がどこまで続くか、これは神様しか知りえないことなのですから、終わりの日が来るまで私ができることを出来る範囲でしてあげたいと思います。
投稿: ののか | 2008/01/19 00:30