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2008/01/10

かぞくのじかん

今日は仕事が休みだったので電車に乗って、父の見舞いに行ってきた。父は点滴がとれひと月。鼻から酸素を入れなくても眠れるようになったようで、顔色は大分よくなった。栄養は、ペースト状になった食べ物を介助してもらいながら摂っている。多くの助けを借りて、生きながらえている。

しかし、何もかも介助を必要とした生活なので、イライラしがちである。私が行くと嬉しがってはくれるが、結構怒鳴られたりもする。これにはまいる。父が抱えているどうにもならない苛立ちや先行きが読めない不安な気持ちに寄り添いたいと思い、予定より長く相手をしているうちに夕方になった。私は家で待っている子どもの夕飯のことが気になって、段々そわそわしてきた。いつ帰ろうか?おやつの時間が終わりタイミングを見ているところに、父の親友が訪ねてくださったので、また少し帰宅の時間がのびる。折角来てくださったのにお相手しなければ失礼だと思うし、何しろ楽しいおじ様なのでお話をしてから一緒に帰ることにした。その方は父の認知症がすすんでいる様子を見て、気を落としておられる様子だった。父はぼうっとして、嬉しいのか嬉しくないのかも表情からは読み取ることが出来ない。何を言っているのか、受け答えもかみ合わない。しかもまだらボケなので、ときどきしゃっきりしたことを言うし、自分のことを様子がおかしいのがわかってしまいなおパニックになるのだ。

自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのか、誰に尋ねても納得できず、不安に押しつぶされそうになっている父の心に寄り添うことが出来るのは、人間の力を超えた存在だけかもしれない。私はその存在に祈ることしか出来ない。けれども父はその存在を受け入れることをしないうちに、混沌の世界に行ってしまった。そして帰り道も行き先も分からないで、助けを求めながらさまよっているのである。

かぞくのじかんは、段々に変化する。子どもの生まれたとき、育ち盛りのとき、巣立ちのとき、夫婦ふたりになったとき、私のように別々の道を行くことになる場合もあるが、親と子、きょうだいの縁は切れることはない。人生のまさかがいつ起こるかわからないのだから、家族で一緒にいるときには心の繋がりを大切にして、思いやりをもって相手の話を聞き一緒に悩み一緒に笑い、悔いのない人生を生きなくてはいけないなあとあらためて思った。

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