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2008年3月

2008/03/30

♪残されたもの

イースターの翌日、母と子どもたち全員の見守る中、父はとうとう天国に行ってしまった。それから毎日私は朝早く起き、父の愛した庭を歩いている。ゲンカイツヅジとユキヤナギ、トサミズキが咲き乱れる庭の中央の木立の中に、ひっそりとヒトリシヅカが咲いていた。次の日にはホタルカズラが咲きだした。

父が歩いた散歩道の桜は、父が亡くなった日から一気に咲き始め、葬儀の日に満開になった。父は花咲爺さんだったのかもしれない。残された家族はみなせっかちなので、私たちの為にサービス満点の父が早く花見が出来るように演出してくれたような気にもなる。そんなことまでしてくれなくてもいいのにと、あれこれと気を回しすぎる父のことをいつも迷惑がっていた私だが、最後の最後まで父らしいなあと、なんだか無性に涙が出る。

天に召された翌日、最後までお世話になった介護ホームから、父の亡骸が帰ってきた。本当は生きているうちにもう一度父が建てたこの家に戻りたかったろう。~不幸な思い出の多い生家を離れ父がこの場所に借金をして家を建てたのは、30を越えたころ。タダで設計をひきうけてくれた建築家は父の親友で、父と高校時代に知り合ってから生涯にわたり、一番の理解者だった。その人は葬儀の終わり棺の中に拾い集めた桜と一緒に、一晩かけてしたためた手紙を入れてくださった。実は身体の弱かった父の生母は、産後間もなく初子を遺し若くして亡くなった。また父親のほうは父が小学生のときに、40を過ぎてから招集され、無念の戦死をしている。手紙によるとその二人をあの世で引き合わせるのが、これからの父の大切な使命なのだそうだ。大事な役目をおおせつかると妙に張り切る父のことだから、葬儀からの数日間大活躍をして、今頃は産みのお母さんと再会、今度は海の藻屑となってしまった父親を探し出し、上手に引き合わせたことだろう。そして父は赤ちゃんに戻り、お話の上手な優しいお母さんと、頼もしくて遊び心をたっぷり持ったお父さんに慈しまれ、幸せなときを過ごしているところだろうと思う。

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父が亡くなってから書斎にある多くの蔵書の中からわが子たちが発見した本は、『ポケット詩集』。「おじいちゃんも持ってたんだね。」「そうだよ。おじいちゃんは朗読の専門家だもん。立派な演出家だったんだよ。」

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父との別れを覚悟してから私が毎日読んでいた本は、父と同じ病気だったエリザベス・キュープラー・ロスの『ライフ・レッスン』。そして一人になった母に捧げたい絵本は、『わすれられないおくりもの』。残されたものの心が、先に逝った人がのこしてくれたものを見つけることで癒されるという内容である。

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2008/03/24

復活の朝

昨日はイースターだったので早起きをして、子どもを連れ近くの緑道で行われた野外礼拝に出席。花見には絶好の場所で行う礼拝なのだけれど、今年は桜の花は見られなかった。イースターの日程が少し早かったからだろう。

私たちは朝のしずまりかえった空気のなかで、十字架にかかり墓に葬られてから3日目の朝に甦ったといわれるイエスを思い、みなで祈りをあわせ讃美歌を歌った。大人も子どもも心を合わせ、緑あふれる春の自然のなかで礼拝をできて、私は生き返ったように元気になった。

今私は大きな変化の中にいる。血を分けた息子の卒業と父の人生の終わりのときを迎えて、思うところが実に多い。

私の人生は思い通りにならないことが多かった。それで大分苦しんだ。だけど私が受け取ってきた恵みが実に多いことに気づかされた。随分まえから気づいていたけれど、最近の出来事にあれこれ対処しているうちにそれが深く心にしみてきた。

そして「嘆くこと、ひがむこと、恨むこと」はもうやめよう、と思えるようになった。古い自分をかなぐりすてて、これからは新しい私になって暮らそう。そういうふうに、自然にここ数日で思えるようになった。昨日と今日は繋がっているけれど、今日の私は新しい私。やり直しのきく人生を、今から心新たに歩んでいこう。

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2008/03/21

♪贈る言葉

「僕たちわたしたちは、晴れの門出を、心からお祝い申し上げます。」と小学校五年生のときに卒業していく六年生に声を合わせて送った言葉だけが、私の小学校の卒業式の思い出。1年後自分が卒業したときは、母が妹の分とあわせて手作りしてくれた青いワンピースを着るのがもったいなくて気恥ずかしかったことや、視力が落ちてしかたなくかけていた真っ赤なメガネがみっともないと悲しかったことしか覚えていない。もちろん涙なんか出なかった。友達と別れ別れになるのも悲しくもなかったし、泣くのなんてみっともないと思っていた。私は多分変わっていたのだろう。

息子は昨日、お陰さまで無事に小学校を卒業した。放送室からの参加だったが、式のあときちんと挨拶すべき人にはお礼やお詫びをしていたようだし、一番お世話になった先生とはまるで父子のように卒業式の看板の前で写真を撮っていたので、きっとよい思い出になるだろう。クラスメイトとの集合写真には、結局加わらなかった。それが今の彼の頭で考える最善の選択なのだから、私はとやかく言わないことにした。午後は家でのんびり。やっとストレスから開放されて、最後の春休みに突入。おめでとう、ぴよちゃん。

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今日はパパが出張でこちらに来たので合流し、話題のショッピングセンターに遊びに出かけた子どもたち。帰ってきたときに話を聞いたら、そこで結婚式のときにお世話になった牧師夫妻に会ったそうで、パパは嬉しそうに挨拶していたよとのこと。息子は大きくなったのでとても喜ばれたようだ。先生たちは我らが地方に転勤になったあと生まれた娘のことも気にかけていてくださって「手術頑張って偉かったね。」と声を掛けてくださったとのこと。娘は「なんでこんなにこの人たちは私のことを知ってるのかなあ?」と思ったみたい。

そうなんだよ。離れていても、ちゃんとあなたたちを思って祈ってくださってささえてくださる方々がいることを忘れないようにしよう。そういう人に恥じない人生を、精一杯生きようね。あなたはあなたらしく、あなたのままで十分。沢山愛されて、大切にされて、これからも生きていこう。ママはそのお手伝いをさせてもらうよ。しょっちゅうおっちょこちょいをするし、笑ったり怒ったり泣いたり忙しいおかあさんで、おまけにこの頃お風呂で寝込んだりするから心配もさせちゃって悪いと思ってるけどね、あと少しあなたたちが大人になるまでは頑張るよ。だからさ~私のこと「ジーラ。」ってからかうの、やめてよね!!!(ぷんぷんぷん)

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2008/03/18

♪卒業写真

明日は息子の通う小学校の卒業式。しかし息子はどうしても、式に出席したくない様子。秋いらいクラスに登場していないので、きまりがわるいのだろう。練習に参加してないから、今更その日だけ登場ってわけにもいかいし。それなら卒業証書は、校長に別途渡してもらえばいいだろう。

しかし私はできることなら、クラスのみんなとうつす卒業写真には入ってもらいたいと思っている。それにはまず、卒業式のあいだにどこかで待機していなくてはいけない。式のあとしばらくして、卒業生が体育館に再入場してクラスごとに写真を撮るのである。

さあどうなることやら。なるようにしかならないのはわかっているが、私は祈りつつ…気をもんでいる。

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2008/03/16

カエルはカエル

昨日今日と気温が上がり、春を通り越してまるで初夏のよう。これはきっと庭の池に蛙が出ると思っていたら、母の叫び声。「2匹いる!!!」

もう蛙は交尾していて、このままでは池に蛙の卵が産み落とされることは必至。これが何より、私の母の苦手とするところなのだ。

蛙さんたちに退散を願いたい私と子どもたちで、網をもってうろうろしてみたが蛙はどこか底の方ににげてしまったようでつかまらない。どうしてこれだけ嫌われているのに、毎年この池に帰ってくるのだろう?

夜になって庭の方から、蛙が鳴いているのが聞こえてきた。母はすっかり困ってしまったようだ。庭の大好きな母であるが、散歩の回数が少し減りそうだなあ。

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2008/03/11

いいものと繋がっていよう

私は今図書館で週に何日かパートをしている。図書館で働くことは学生時代からの夢だったので、たとえ時給が低くても嬉しがっている。正直なところを言うと、時給がこれであと50円でも100円でもあがればもっといいとも思っている。

なんで図書館で働きたくなったかというと、高校のとき学校の図書館でひとりで過ごす時間が大好きだったからだ。特別沢山の本を読んだわけではないけれど、なんとなく書架の間を歩いて気に入った本を手に取ってぱらぱらと眺める。そういう静かな時間が好きだった。図書委員をしているときは、司書の先生が事務室で、カルピスを内緒でご馳走してくれて話し相手になってくれたりしたのも、素敵な思い出である。私は一人にもなりたかったし、特別に大人に相手をしてもらいたくもあった。自由に自分らしくのびのびできた場所が、図書館だった。

司書の資格をとって社会で生かそうと思ったが、現実には就職先はなかなかみつからず、結局普通の会社勤めをしたあと家庭にはいった私は、今度は子育てのなかで図書館と繋がった。絵本を読むことは私と子どもをつなぐ大切な時間だった。そんなわけで図書館の絵本には随分お世話になった。毎晩「今日はこれ!」とふたりのこどもにせがまれて、ずいぶん絵本を読んだ。最近は「読むから聞いて。」といわれることの方が多い。上の子はいつのまにかもう、絵本は卒業してしまった。

本は知識の入り口。だから私は好き。知識は人を助ける。絵本は心を育てる。だから好き。しっかりとした土壌に育った心は、少々のことではくじけまい。これからも私は本を読む。絵本を楽しむ。そうやって本たちと、ずっと繋がっていたい。いいものと繋がっていることで、私は安心して生きていけると信じている。

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2008/03/09

父母の祈り

先日知り合いが鞄から自分の手帳をとりだして、一枚の紙に書かれた詩を見せてくれた。その人のお子さんが通う学校で開かれた保護者会の初めに、何気なく配られた一編の詩だという。

「父母の祈り」

神よ、わが子が自分の道を歩めるように、

わたしが歩みたいと望んだ道を子どもに強いることがないように、

わたしにできなかったことを子どもに強いて、苦しめることがないように、

神よ、わたしを守ってください。

わが子が歩み行く遥かかなたを見据えて、今のわが子の過ちを見守らせてください。

ゆっくりと成長するわが子の姿を、優しい心で見つめることができますように。

些細ないたずらに微笑みかける時と、悪しき行いを毅然とたしなめる時、

その二つの時を見分ける英知を与えてください。

わが子の怒り狂うことばや、押し黙る孤独な姿に、

悩み苦しむ子どもの叫びを聴き取ることができますように。

そして、深い淵を越え、子どもに歩み寄り、理解しあう事ができるよう、

わたしに力を与えてください。

神よ、できないことに目を留めていらだち、怒りの声を上げるのではなく、

わが子が上手にできたことに目を向けて

喜びのことばで褒めることができるよう、

私を導き、ちからをあたえてください。

私が心からわが子を大切にすることによって、

子どもも、心から人を大切にすることができますように。

わが子が力強く自分の道を歩めるように、わたしは子どもを送り出したい。

神よ、どうかわたしに、その勇気を与えてください。

(マリオン・B・ダーフィーの『祈り』から)

その人は私が子育てで苦労しているのを知っているので、そっと応援のメッセージを送ってくれたのだなあと嬉しい気持ちになった朝だった。

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2008/03/03

ひなまつり

今晩は塾にこどもたちが行ってしまうので、

昨日のうちにひなまつりのお祝いのごはんをつくった。

Img_0053 こどもたちは喜んでくれたみたいで、よかったよかった。

今日は娘は学校へ。息子は家で勉強。

【おまけ】昨日の息子との会話。

息子いわく、地球儀を眺めていたらオーストラリアには「キング」とか「クィーン」とか「プリンス」とかいう言葉がつく地名が多いという。

「それはきっとオーストラリアの歴史に関係あるんだよ。」「オーストラリアはもとはアボリジニっていう人たちの大地だったんだけど、そこに入ってきた外国人たちが…。」

と説明しようとしたら、私はあんまり知らないことに気づいた。ついでに、ここであれこれ教えるよりも、自分でもっと息子が追究することのほうが大事だと気づいた。インターネットでもいいから、調べて面白いことがわかるといいなと思った。

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