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2008/04/07

お葬式

葬式は大変だ。実際に葬式を出す側にまわってみると、それに要するエネルギーは想像していたよりもはるかに大きい。悲しんでいられるのは見送ったときだけ。そのあとはすぐに、葬式のための事務が始まる。

そして目の前にあることをあれこれ対処しているうちに日が過ぎて、今日は父が亡くなって2週間目になる。仏教で言えば○七日であろうか。この間、父が亡くなったときの様子を、とにかく日に何度も思い出す。夜には疲れでうまく寝付けても、夜明け前から目が覚めて起き出すので、休んだ気がしない。身体の疲れもピークである。

きょうだいが週末ごとに集まり、書類に押印したり、今後のことを話し合ったり。故人の遺影とお骨が置かれた祭壇に線香を上げ、お供えをする。こういう日本的なことを、私は今までしたことがなかった。きょうだいもその子どもたちも、折を見てはこの家に顔を出し、みな線香を上げていく。こういう偲びかたがあるのだと、手をあわせる一人ひとりの顔を見ながら、風習というものの奥深いところを感じたりする。

私は仏教はよくわからない。納骨をいつにするかとか、49日がどうのとか、みんなが決めてくれればそれでいいと思う。葬儀に来られなかった方から、昨日は線香が1箱届いた。49日までは線香を絶やさないようにするものなんだよ、と兄から教わった。供花は手入れしてもやがて枯れてくる。昨日は義姉が、まだ元気な花だけを残して、大きな花瓶に賑やかに活けてくれた。父のお弟子さんが父の棺がこの家に入ったときに贈って下さった花のほうは、まだまだ元気。これが不思議。

人は死んだらどうなるのか。人それぞれ考えは異なるところだ。私はクリスチャンだから、死は終わりではない、と思う。父は先に逝った人たちと一緒に、遺してきた人間を天国で見守っていると思っている。わたしの所属している(?)インターネット教会のQ&Aが最近更新されたので、参考の為にこちらにご案内しておこう。→三十番地キリスト教会

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コメント

あわただしい日々を過ごしておりました。久しぶりにお邪魔し、お父様が昇天なさったことを知りました。
また三十番地キリスト教会にもお邪魔して旧約における死生観も拝見しました。短くまとめられてあったので、大変わかりやすかったです。お骨折りに感謝!!
亡くなってからどうなるのか、神はおられるのか、私たちにはまだ見ていないことを想像し信じることしかできませんね。
私は数年前に父を亡くしたとき、神道で見送りました。
パスカルの賭けではないですが、死後の平安も信じ、希望をもって生き続けてまいりましょう☆
ご一家の平安をお祈りいたします。

投稿: ikko | 2008/04/07 16:49

ikkoさん、コメントありがとうございます。

死んだら何もかも終わり、と考えるのは、肉親を亡くしたばかりの人間にはあまりにも寂しい気がしています。地獄は信じたくはないけれど、父が今ごろ天国とかお花畑の咲き乱れるあの世に今るのなら、残されたものには慰めになるなあと私は思うのです。

投稿: ののか | 2008/04/08 05:37

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