みちでバッタリ
これは、岡真史という12歳で自殺してしまった詩人の詩のタイトルである。収録されているのは、『ぼくは12歳』という有名な詩集。私はこの詩だけはずっと以前から知っていて、とても純粋でいいなあと思っていたのだが、先日古本屋でこの詩集をみつけて買ってきた。12歳といえば、息子と同じ年だなあと思って。
読んでみると、彼の感性がそのまま伝わってくるような詩の数々。惜しい。この人がなぜ死を選んだのか、遺された親たちはノートに書かれた詩のむこうに、何を思い悔やんだのか。あとがきは母親、父親によって書かれている。私は母親だから、特にこの詩人の母親の文章を読むと胸が痛くなる。遺された親の悲しみ、後悔が伝わってくるからである。
そして私は考えた。私は息子の心の中を、とても知りたいと思っているけれど、いくら血が繋がっていても息子は私とは違う人間なのだから、知りたいと思ってもわからないのが当たり前なのかもしれないと。反抗期を迎えた子どもが心を開かなくなって、不安や焦りを感じない親はいないだろう。しかしやがて時が過ぎ大人になったわが子を見て、ああ、いつのまにかひとまわり大きく成長したのだなあと、親たちはみな思うのであろう。だから、死なないでほしい。生きていてほしい。私の子どもたちがどんな理由があろうとも自分で死を選ぶという残念な選択をしないように願う。昼間にどんないさかいをしたとしても、夜にはすやすやと子どもたちが眠る寝息を聞いて、ああ幸せだと思っていたい。
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コメント
はじめまして。
私も中学生のころ、その本を読んで、とても共感したことを覚えています。
お母様の書かれた後書きを読むと、切なくて、親より先には死んではいけないな…と思ったものです。
今は手元にありませんが、また読み返したくなりました。
投稿: 及川 宏子 | 2008/06/29 13:28
及川さん、コメントありがとうございました。
詩人は亡くなっても、詩は残って今生きている私の心を揺さぶります。
そういうことを思うと、息子のノートに記されていた詩を集めて本を出版したご両親が、どんなにこの息子さんを愛していたかがよくわかるんで、余計に胸がしめつけられますね。
投稿: ののか | 2008/06/29 17:02
私もこの本を読んだ事があります。中学生だったと思います。やはり手元にはありません。
あなたの言うとおり、すやすやと眠る子供の寝顔を見て幸せを感じたい。心から…
投稿: そら | 2008/06/29 21:46
そらさんへ。生きてるだけでまるもうけ!とある芸能人が生まれてきたお子さんに「いまる」名前をつけたのは有名な話ですが、本当に生きてるだけで感謝しなくてはと思います。子どもたちが生きているだけで。でももしいなくなっても、忘れたくない、そういう親心も、よくわかりますね。
事情があるとはいえ、親子でべったり一緒にいつもいると、煮詰まってきます。しかも子どもは反抗期!
ここでちょっと距離をとるためにどんな工夫があるか、今週は考えてみようと思っている私です。
投稿: ののか | 2008/06/30 06:50
(自ら)死なないで!!
本当に、日々そう思わされる出来事や、そんな子どもたちを思います。
子どもたちだけではなく、自ら命を絶った友人の残した言葉は、何年経っても消えることなどありません。
ましてや家族、親なら・・・。
子どもが心を開かなくなった頃のことを振り返ると、
子どものレベルでどうしようもなく苦しんでいたんだろうなぁ・・・と今更ながらおもいます。
“乗り越えた”と思えた日から、あえてあの時のことは聞かずに来たのですが、生きているうちに1回は「本当は何があったのか」聞いて見たいと思います。
話してもらえたら親として嬉しいかな~ってね!
投稿: ローズマリー | 2008/07/02 11:50
ローズマリーさんへ。本当にこどもと心が通い合ったときって、うれしいですよね。
親の心子知らずともいいますから、あまり期待はしないようにしますけど、
でもね何考えているのか教えてよ!って思います。
投稿: ののか | 2008/07/04 06:55