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2008年9月

2008/09/28

昨日の塗り絵

004 自分へ送りたい花束の塗り絵。

005 海べの夕焼けのイメージ。

006 日の出です。

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2008/09/26

まだ金曜日

子どもたちとかと映画に行ったり、父のお墓参りに行ったり、なんだかいろいろあってくたびれた今週。

大体祝日があるのはいいが、おかげで曜日感覚が狂う。

今朝は「今日は土曜日だ!」と勘違いして目覚めた。でもなんで目覚まし時計をかけたんだっけ?と寝ぼけた頭で考えた。ああ、なんだ!まだ金曜日じゃん!現実に引き戻された。

明日は楽しみ。子どもたちとお出かけして、アトリエ行って。息子はコンサートを楽しませてもらう予定。ホテル・カルフォルニアは出るだろうか?

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2008/09/20

瑠璃色の地球

今日我が家に瑠璃色の地球のような、美しいバランスボールがやってきた。

そういうふうに見えるのは私だけで、子どもたちから見ればただの青いバランスボールなんだが、自分だけのバランスボールが持てたことが私はとっても嬉しいのである。

普段パソコンやるのにバランスボールに座っているといい気分なのに、息子は絶対私には使わせてくれない。仕方なく娘が自分のを使わせてくれるが、今日まで申し訳なくてしょうがなかった。

ということで、今日図書館帰りに娘とスポーツオーソリティーに寄って、フィットネスコーナーで激安の青を見つけて大喜び。ちなみに、娘は濃いピンク、息子は黄色を使っている。

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2008/09/18

わたしのいもうと

わたしのいもうと

これは、松谷みよ子の書いた絵本。いじめの痛みが、どれだけ被害者の心を占領し傷つけるか、見事に描いた一冊である。見過ごしてしまえたらどんなに楽か、と思えるいじめ問題。自分にさえふりかからなければ関係ない、で済ませてしまいたいこと。だけれど、社会の闇から目をそらしてはいけないと私は思う。

いじめはなかなかなくならない。人間の不満のはけ口が、弱い者いじめだから。弱い者は、いじめられたらどうすればいいんだろう。

じっと我慢することはない。卑屈になって周囲に合わせるにも、限界があるだろう。私はできることなら、誰かに助けて!といえるようになるといいと思う。わかってくれる人がひとりでもみつけられれば、いいと思う。いじめに立ち向かうために、無理して学校に行く必要はない。疲れ果てて傷だらけで死んでしまうより、ずっといい。心も体も、大切なあなたのものだから。しっかり自分で守れるように、助けを求めることに慣れておこう。小さいうちから、繰り返し。

安心、自信、自由は、誰もが持っている権利である。子どもへの暴力防止プログラムの活動をしているCAPのHPはこちら(←CAPのところをクリック)。

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2008/09/15

おばあちゃんのクッキー

今日は敬老の日。

手仕事好きな娘がクッキー作りを今日こそしたいというので、私はいそいそと準備。

ほとんど娘にまかせておいたが、出来上がったのが可愛いクッキーだったので、写真をパチリ。

もらったおばあちゃん、亡くなったおじいちゃんは喜んでいると思うよ。

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2008/09/10

コスモス

昨日は息子の付き添いで、車を運転して近くのニュータウンへ行った。不登校の子どもが再び学校に適応できるように、その場所に週に1回通うのが9月からの息子のスケジュール。親にしてみれば、息子が一人で電車に乗ってそこにたどりつけるようになったらいいなと思うけれども、現在の状況ではとても無理。本来なら中学に行くべき時間にほかの所をほっつき歩くということに罪悪感を感じている息子は、どんな大義名分があろうと平日の昼間に外出することは大変難しいことなのである。人目が気になって仕方がない。だから最初のうちだけ、と私が人目につかないように車に乗せて連れて行くしかない。ところがそこには、駐車場がないので困ってしまう。

歩いてすぐの近くのターミナル駅の地下駐車場に車を乗り付けるのは、私が緊張してしまってどうしても気が進まない。運転に自信のない私が無理をすると、あとから疲れて子どもたちにとばっちりがいくからだ。家内安全のために、私は無理せず少し手前にある園芸屋さんの青空駐車場を利用させてもらう。

息子は昨日が2回目だったので、まだ緊張が抜けないようだったが、行ってみたらスタッフの方がとても丁寧にフォローしてくださったので気分よく過ごせたようだ。だんだんこうやって慣れてきて、同じように通ってきている人の中にひとりでもいいから友だちができるといいなと思う。…さて、そうしてまた帰る時間になった。その間ほんの2時間のことでも、駐車したお礼の気持ちが大切だと私は思うから、その園芸屋さんで昨日は小さなコスモスの鉢植えを一つ買った。コスモスといえば種もまかないのに、私が小さい頃うちの庭にそれはたくさん咲いていたっけ。それがこんなちっぽけな鉢に収まって売られているのが、なんだかかわいそうな気持ちになる。

コスモスは、秋の花。育つと茎も根もしっかり太く強くなって、ちょっと始末の悪い花。でもその可憐な姿は、風に吹かれるといっそう秋の風景に溶け込んでとてもいい。我が家の庭は夏にはびこっていたタカサゴユリも姿を消したところだし、これから秋になるたびコスモスの可憐な花がたくさん咲いたらいいだろうなあと思いめぐらしながら、まずは一鉢分のコスモスを大切に咲かせてみようと思う。

さて来週は何を買うことになるかな?店に買い物に入るのを嫌がる息子と一緒だから、即断即決。どうやらこの次も、またコスモスを選ぶことになりそうな予感…。

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2008/09/07

四つの嘘

友人に本を貸した代わりに、こんなのもあるよ、と貸してくれたのが大石静の『四つの嘘』。ちょうどドラマが先日最終回を迎えたところだが、私は見ていないので、何の先入観もないまま読み進み読み終わった。

内容は、40代にさしかかったころの4人のもと同級生の女性たちの物語なのだが、かなり壮絶な内容なので、これが新聞小説だとわかり?これを電車の中で読んだ産経新聞の読者は、ちょっと周囲を気にしながらじゃないと読めない場面も多かったろうと思った。

私は大石静は、特別な人生を歩んできた女性だと思うし、才能豊かな人だと思う。娯楽性に富んだドラマを数多く生んできた彼女は、人生の地獄を何度も垣間見た人間でしか書けない痛烈な視点を持っていると思う。

私はどなたにでもお薦めできる本とは正直言って言えないが、女性ならこの4人の心理にそれぞれ感情移入することができるのではないかと思った。あなたならどうする?とギリギリに追い詰められた時、どの道を選択するかは「魔が差す」といったようなことで決まってしまって、ああやっちゃった、と思っても後の祭り。その後の人生が決定づけられるということも、酸いも甘いも知ったような年齢にさしかかればみな思い当る事だから。

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2008/09/04

♪異邦人

聖書を読んでいると、ときどき「寄留者」という言葉が出てくる。旅の途中でちょっと立ち寄っただけの人、というような意味だろうか。私はこの言葉がなんとなく気になって、自分の立場を説明するために用いたこともあった。あのときは相手がクリスチャンでなかったので、いいたいことが通じなかったのが残念だったっけ。

今日はなんとなく、久保田早紀の♪異邦人が頭をめぐる。「異邦人」も聖書によく出てくる言葉だ。そういえばこの歌手はクリスチャンとして、今は伝道活動をしているという。異邦人というタイトルは、聖書からイメージしたものだったのだろうか。ムードがあって歌詞がよくて歌声もマッチしていて、何年たって聴いてもいい歌だなあと思う。<

…あなたにとって私 ただの通りすがり 

 ちょっと振り向いてみただけの異邦人…

人と人との関わりはこの歌詞のように、確かに永遠ではない。ちょっとすれ違ったり、ちょっとぶつかったり交わったりして、また離れていく関係がある。もちろん死ぬまで続く関係もある。死んでからもなお繋がっている関係すらある。その終わり方が完全に納得できた終わり方ならば離れても寂しさはないが、納得がいかない離れ方だと未練が残る。どちらかに後悔が、あるいはどちらかに恨みが残ることもある。だから別れからずいぶん時がたっても、わだかまりがいつまでも残る場合も多いだろう。

旅の空なら、別れは思い出になって消えていくかもしれない。けれど自分が生きている世界で、納得のいかない別れや断ち切られ方をしたら、それは空虚な穴になって、心の闇となるであろう。人間そんな経験をすると、なんで自分ばかりと辛い思いに陥るに違いないが、たとえばこの歌なんかを聴いたりすると、こういうことには普遍性があるんだなあと心が救われたりするのである。

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2008/09/02

カラーセラピー

興味があってカラーセラピーを受けてみたいと思っています。

私さびしいし、疲れているし、何かに癒されたいなあと思って。

振り返れば、子育てうまくいかないのも自信がないのも、元をたどれば私が健康でないからのような気もしてきたし。

9月は心配事がいっぱい。頭もいっぱい。

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カサコソ

ゆうべ夜中に一大事が起きた。

カサコソと不気味な音をたてて歩く黒光りする生き物が、息子がトイレのため降りて行った階段の一角にいたのである。

息子は汗びっしょりになりながら、そいつをどかそうとしたが、ひゃ~っという悲鳴をあげてあえなく退散。遠くにいなくなってから用を足して戻ってきた。

一大事が起きたおかげで、夜中に母子の会話が少し戻って、カサコソの音の主に感謝した。でも朝いちばんに、●●●●ホイホイ5個入りの箱をあけ、あちこちに罠をしかけた私である。

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