人間の限界
今年の5月21日から、日本では裁判員制度がはじまった。人が人を裁くということは専門家のすることという時代は、終わったのである。だから専門家でない私も今までより裁判に関心を持たなくてはならないと思うし、少し勉強しなくてはと考えている。
それにしても、真実は神のみぞ知るわけだから、人間がいくら知恵を出して最良と思い判断したことでも、間違いはある。例えば私が昨日読んだ本で、このことに関連して深く考えさせられた本がこれ。
子どもの脳が危ない (PHP新書) |
精神科医の福島章氏が紹介する残酷な刑事事件と、原因の一つと考えられる加害者の脳の異常。掲載されいてるMRIは、刑が確定した犯人のものだとしても、本当に一般人が読む新書などに載せていいものなんだろうか、となんだか気になった。この本は、タイトルがショッキングだから、なんとなくずっと気になっていた本である。奥付を見ると、9年前に出版されたPHP新書だ。数日前に偶然図書館で見かけて読み始め、まだ途中なのだが、中でちょっと驚く記載があった。
つい先日冤罪であることがわかり釈放された、足利事件の犯人とされた人のMRIが、57ページに載っているのである。この本の中で福島氏は無期懲役が確定していたとはいえ、そのMRI(図の3-6)とともにこの人の成育歴や嗜好を紹介し、脳の特徴と犯罪の因果関係について書いている。
さて、足利事件の真犯人はほかにいるとわかった今、この本の内容は、訂正されたり削除されたりしないのだろうか?それが目下の私のほやほやの疑問。人間だから、間違いはある。しかし犯人かどうか、といった重要なことについて、間違いがあっては困るのである。そして間違いとわかったら、すぐに訂正する、謝る、できる限り償う。それに尽きるだろうが、それすら破れの多い人間には限界があり、体面や組織の構造の問題があって十分には行われない。
人が人を裁くことは難しい。
被害者の側からすると、加害者が判明し有罪となったからといって、受けた被害が消えることはないからだ。被害者の受けたダメージと同じだけの罰を加害者に与えることで、加害者が罪を償えるとはかぎらないし、たとえ最も重い死刑が求刑されたとしても、被害者側の気持ちに整理がつくかどうか、本当のところはわからない気がする。さまざまな問題を提起する裁判員制度。果たして日本にどのように定着していくのか。興味のあるところである。
最後に、犯罪被害について考えさせられた本をもう一冊紹介しよう。失われた命は帰ってこないし、時間を逆戻りさせることはできない。事件の前と後とでは、本人が望むと望まざるにかかわらず、世界が変わってしまうのだ。読んで重い気持ちになった本はこちら。人の痛みというのは、わかってあげたくても本当のところは同じ経験をしたものにしか理解できないものなのかもしれない。人間の限界について、あれこれと考えた週末だった。
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