谷内六郎の月
昨日は珍しく夜の外出。クラシックコンサートの招待券が2枚あったのである。私は予定通り友人と駅で待ち合わせしておちあい、近況を語りあいながら、アフタヌーンティーで食事。その後会場へ。私が若いころにはなかった会場なので、たどり着くまで少し緊張。初めて乗る電車で、目的の駅を通り越しちゃったりしたけれどなんとか到着。コンサートは玄人向けではない和やかな雰囲気。上質のクラシックの演奏を味わって、満たされた気持で帰途についた。
友に帰りの電車で私が打ち明けたこと。
「ねぇ、神様って意地悪だよね。苦しいことがいつまで続くのか、それがいつまでだよ、って教えてくれれば我慢して頑張れるけど、教えてくれないんだもん。どうしてなのかなぜなのか、わからないまま、くたびれながら頑張ってるから、もう疲れちゃったよ。」
なんてマイナスな思考なんだろう。クラシックの音色にも、私の乱れた心は癒せなかったみたい。でも数時間でも気持ちを共有できる友と過ごせたことは、心の慰めになった。ありがたかった。
駅で友と別れて、私は暗い夜道を歩いた。タクシーは通るし、通行人も多いけれど、暗い道を歩きながら、ぼんやり考え事をした。こういうぼんやりは、私にはとても大切な時間。行く手の暗い闇に光る赤ちょうちんや自動販売機、薄気味悪い外灯やさびれた飲み屋の看板。そんなものの上に、まるで絵に描いて貼ったような月が浮かんでいた。それらの光景は一つの絵のようになって、私の心に迫ってきた。
私はその絵に「谷内六郎の月」という名前をつけた。なんとなくそんな名前がぴったりな気がした。家に一冊ある谷内六郎の画集に、電柱の絵があったような気がする。楽器が夜空に浮かんだような。記憶がごちゃ混ぜになっているので、谷内さんに無断で(もう故人だけれど)お名前を借りて申し訳ないのだが、そういう題名が思いついた。不思議だな。
今日は土曜日。予定といえば隣の家の八朔の実の収穫を、家族で頼まれているくらいか。マイナスな気持ちを切り替えて、今日は明るく過ごしたい。
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