続・GLORY
あの日から数えて、今年で何年になるだろう。同じ5月を迎え、私は自分の人生の意味について、再び考えている。私にはまだ、人生の意味や目的がわからない。あれからいろいろあった。新たに見つけた希望は絶望に終わり、こなさねばならない課題がいつも目の前にあって、必死にそれに取り組んで生きてきた歳月だったように思う。今はまあまあ暮らしていけてるし、子どもを二人授かったことは感謝である。ただ子どもたちにはそれぞれ背負ってしまった十字架があり、それは私の最大の悩みでもあるが、それは彼と彼女の問題である。私は支えることしかできない。では私は、私の人生は、これから先どうなるのだ?私はいまひとたび考える。私にできること、私が私らしく生きていく道は、どこにあるのだろうかと。
先日本当に不思議に思うのだが、娘のアトリエで先生にすすめられて、あるワークを行った。それは真っ白な紙に自分の手の形を写して、自由に色を塗るというもの。手を写す方法は、まったく自由で良いという条件。白い紙に手を写すとなれば、当然私は遠い日のことを思い出した。あの日私は、虚しい気持ちで左の手形を紙に写した。色も塗らなかった。だけど今回は無意識に、左右の親指と人差し指をを付けた形で、両手を一枚の紙に写した。二つの手のひらを未来に向けて広げ、私はエメラルドグリーンの山を見ているように色を塗った。幼稚なようだが、親指と人差し指でできた三角の中に、赤いハートも付け足した。その絵には、私の今の気持ちが、多分素直に表現されたように思う。
両手の先に広がる未来は、明るく輝いていてほしい。私はそこに人生の意味を見つけることができるかもしれない。ただ悲しんで愛を待ち望むのではなく、自信のある自分になって、私の持っている愛を誰かと分かち合えたらどんなにいいだろう。生きていることの意味がわからなくても、苦しい状態はずっと長くは続かない。生きていて、少しずつでも環境が変われば、違う何かが見えてくることもある。~人間が自分の心を表現する手段を持ち、心のベクトルがどこに向いているかを示すことができるなら、誰かの手助けさえあれば、次のステップを踏み出しやすいはずである。~私はその手助けをする仕事についてみたい。そしたら若い日の私に出来なかった神の栄光を現す人生に、少しだけ近づけるかも知れない。そんなことに想いをめぐらす、5連休の朝である。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント