言葉のキャッチボール
昨日の小林豊さんのお話の中で、印象に残ったこと。
人間なんて、自分が何者かなんて初めはわかっちゃいないけど、人と言葉を交わす中で、段々自分がわかってくるものなんじゃなかろうかと。
なるほど、そういうものかもしれない。自分を認識する能力は、普通ならそういう風に作られて、引き出されてくるものなのだろう。普通なら、の話だけど。。。
それから、沈黙の意味についても、お話があった。この先生は、
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を中心に、世界を取材旅行している方である。最近はパレスチナ地方にたびたびおでかけになるとのことで、今はこんな絵本も手掛けてらっしゃる。
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パレスチナにかぎらず、アフガニスタンとかユーゴスラビアとか、中東などなど様々な地域を取材した体験から、先生のおっしゃること。危険な地帯を取材しているとき、命の危険にさらされているときは言葉を慎まなくてはならない。そうしないと、銃弾がシュッと飛んでくる。だから、とにかく言葉を発さないように気をつけるんだそうだ。言葉を交わさなくなるということは、敵(とか苦手な人)と対峙しているときなのだ、というお話。私はこの話が妙に腑に落ちて、人生を考えるきっかけになった。
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そういえば、私のお気に入りの教会の牧師のお話、これも慰めになりましたので、こちらにご紹介。
人生の意味がわからないとか言ってくよくよしている私に、大好きな聖句が呼びかけてくるような気がしました。世界のどんな大変な地域にだって、希望を持って暮らしてる子どもたちがいるんだもの。私はちゃんと暮らしていけてるだけでも十分幸せ。生きているだけで、十分なんだよね、本当は。
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