最近学校関係のことで、誤解や無理解から人前でぎゃんぎゃん文句を言われて、私はすっかり凹んでしまった。私は疲れ果て、相当まいったので、まずは自分が壊れないように、心の傷が癒えるまで、仕事は最低限にしてもらうことにした。その分他の人に負担がかかると思うと申し訳ないと思うけど、できないと心が悲鳴を上げている。
「分かってくれる人は分かってくれて、仕事も分担してくれるから大丈夫。今は自分を守ることだけ考えて。」
と学校カウンセラーにも言われたから、今はPTAには近寄らず、やるべきことだけやることにした。
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数年前職場であったことを、今しみじみと思い返している。同じチームの人で、仕事の仕方が注意散漫な人がいて、みんなで困ったことがあった。私より給料が高く責任ある立場にいるのに、その人の仕事の間違いを私が修正するのはどういうことか。納得がいかないまま、修正修正。また間違い発見。。。いくら控えめに注意をうながしても、何度でもその人のケアレスミスは続く。今となっては、注意欠陥の傾向がある人だったのだと分かるのだが、だとしたら全く適性のない職場に彼女は勤めていたことになる。採用自体が間違っていたわけで、ケアレスミスをする彼女には責任はない。今でもなんで自分が怒られたか、わかってないだろう。しかし当時の私はその矛盾にすっかりまいっていたので、あるとき爆発した。少々人は少なかったが職場でその人に、
「いい加減にしてくださいよ。私なんかただのアルバイトですけど、誇りを持ってこの仕事に携わって、細かい取り決めをまもってデータ作りをしてるんですよ。でもあなたは職員なんですから、もらってるお金の分ちゃんと働いてくださらないと困るんですよね!」
と言ってしまったことがある。本当なら、私の上司が言うべきことを言わないから、私が言わなくちゃいけなくなったのだけど、我慢の限界だった。同僚がひとり、その状態があまりにも馬鹿らしいと辞めていった。
でも数年たって、今いろんなことを経験していると、あんなことするんじゃなかったなぁと思う。人前で興奮して注意するなんて間違いだった。あの人には、誰が何と言おうと、言われてることの意味が通じるわけがなかったのだ。恥をかかせる必要もなかった。今考えると、職場の上司が自分の面目を保つため、問題に気付きながらもその人を雇い続けたことが、一番の問題だった。適性もないのに採用された彼女は気の毒といえばそうなるが、高い給料を何年かもらえたのでよかっただろう。最後まで自覚がなかったようだったし。
尻拭いをさせられた私は、その後結局異動につぐ異動で、今は時給も当時より安くなり、勤務時間も減った。これは私の評価が悪いからではなく、こういうご時勢なので仕方のないこと。経費削減でまず切られるのは、弱い立場の人間だ。それでも資格を活かして働く場所があることを、ひたすら感謝するしかない。私のような人間は、生活のために次に繋がることは何かないかと、アンテナを張って暮らしていくしかないのだ。
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今日は午後に、昨年取得した「子どもアート療法士」の同期達でチームを作り、近くの競技場に避難してきている福島の子どもたちのところに、出張アトリエに行く予定。一緒に遊んで、色を使って創作をして、楽しんで来れたらいいなと思う。様子がわかったら継続して、という依頼なので、5月になっても続くとよいが。本当なら避難してきている人が、福島の家に戻ることができることが一番よいのだが、どうやらそれは難しそうだ。せめてたとえ仮でもいいから、ちゃんとした住宅、安定した職業を、それぞれの家庭が確保できる日が早く来ることを願う。出張アトリエは、今私にできること。その後どうなるかは、その時また考えればいい。
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今日読んだ聖書の箇所を、最後に紹介する。できることならそうしたい。ちょっと時間はかかるだろうけど、そうしたいなぁ、私も。
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。(新約聖書・エフェソへの手紙、4章31節)
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