« 往復書簡・佐伯一麦→古井由吉(5/23) | トップページ | さよなら。いつかわかること »

2011/05/30

GLORY~再会~

昨日は、5月最後の日曜日。私はいつものように近くの教会の礼拝に出席し、昼間には身内に頼まれて、都内の物件を見て歩いた。いくつか条件を提示して不動産屋に物件を紹介してもらい部屋を見せてもらった中で、一番私と身内が気に入ったのは、少し古いが風通しのよいマンションの部屋だった。私はそこの窓から20年ぶりに、気にかかっていたビルを遠くに発見して驚いた。ずっと昔に電車の中からぼんやりと眺めたそのビルの看板を見て、私は物思いにふけったことがあったのだ。そのことは過去に記事にしたこともあるのだけれど(→2010年5/3の記事)、以来そのビルを目にしないので思い違いだったかな?と考えたりもしていた。建物はずっとそこにあったのだが、私の視界に入っていても、見分けられないだけだったようである。

昨日の私は、嫌なことをできれば想い出したくない一日だった。その日に再び「GLORY」という言葉に出会ったことは、なんだかできすぎるぐらいいいタイミングでびっくり。「これからは前を向いて歩きなさい」「私はあなたと共にいる」と神様に言われたような感じがして、大変勇気づけられた。人生って本当に不思議だ。

********

夜には私の卒業した学園で校長をなさっていた恩師を囲む会があった。先生は今ではカンボジアで現地の子どもたちの支援をご夫婦でなさっているのだけれど、一時帰国中なのだ。その活動を支援をしている人は各地にいるが、昨夜は特に学園の卒業生とその周りの人々で、卒業生のお宅にあるスペースで美味しいお料理をいただきながら、最近の先生の活動の様子を教えていただいた。私は目立たない生徒だったし、大抵は裕福な卒業生に比べたら正反対の暮らしをしているから参加するには気後れがあったが、会の取りまとめをしてくれた同期が私のことを思い出し声をかけてくれた。となると私は、どうしても先生にお目にかかりたくて出かけてしまった。

すると、恩師を囲む卒業生たちは年齢の差こそあれ、先生を通じて繋がった人の輪であるから、会のはじめから終わりまで笑いあり脱線もあったけれども和やか、大変ムードがよかった。だから最近少しくたびれている私には、日常を離れたご褒美のような時間に感じられ、とてもその輪に入れたことに感謝した。……先生は、若かった私の中の信仰心を育ててくださった大恩人であり、今も大変豊かな心の持ち主だ。日本での名誉ある仕事に区切りをつけて、人生の締めくくりの仕事として、カンボジアの子どもたちの友達になるために日本を離れた方だ。そのお働きには頭が下がるし、とても真似できないと思うけど、遠く離れてそして微力でも、また少しずつ支援を続けられたらいいと思った夜だった。

|

« 往復書簡・佐伯一麦→古井由吉(5/23) | トップページ | さよなら。いつかわかること »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: GLORY~再会~:

« 往復書簡・佐伯一麦→古井由吉(5/23) | トップページ | さよなら。いつかわかること »