「雨と血と花と」
世界各地で、今しきりにデモが行われている。それぞれ主張は様々だが、みなギリギリのところで立ち上がらざるを得ないから行動に出ているのがわかる。平和なデモもあるだろうが、弾圧がひどいところでは、死者が出たり逮捕される人が出たり、現場は熱く燃えている。
この日本でも、大震災の後、脱原発を訴えて霞ヶ関の経産省前ではハンガーストライキが若者によって行われたり、ここ数日は福島の女性たちとその支援者たちによって、座り込みが行われた。9月には大江健三郎など著名人の呼びかけで、6万人デモが東京や全国各地で行われた。その少し前のデモでは、逮捕された人が出たりして、殺伐とした場面も見られたようだ。
今日はTPP反対派が、首相官邸や国会周辺に集まったようだ。なんだかすごい数である。政治家や農民、それから普通の人々が一緒になってる。このように、眠っていた日本人たちは、大きな危機にさらされて変わってきたようである。いずれも「生きるか死ぬか」の覚悟を持った人たちの真剣な訴えがあるのであるから、国を司る政治家はそれを「声なき声」にしてほしくはないと私は思う。
今日偶然に、1960年の安保闘争のとき、東大生の樺美智子さんが亡くなった国会前の大混乱のデモを題材にしたドキュメンタリーラジオドラマ「雨と血と花と」(木下順二脚本)の記事を見つけた(→梁塵日記)。番組に携わった山本安英や、ディレクターの証言が生々しい。そのドラマを20年後、再びラジオで放送したのは、私が懐かしいと思うアナウンサーの林美雄さん。
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あの時代と今は、繋がっている。あの時あの場所にいた人達と私は、繋がっている。ただ、今の日本がどれほどの危機的状況であるかという認識が、情報の得方によるのだろうが人によって様々なのがもどかしい。私は非常時だと認識しているのだが、そう感じてない人には、私の意見はピンとこないと思う。
いずれにしても日本は、60年安保闘争がなし崩しになったのと同じように、いつの間にかデモなどで声をあげた人々の叫びは「声なき声」となってしまうのかもしれない。「みえないばくだん」や見えない大きな力が、長い時間をかけてずっと日本を覆ってきたこれまでのように。
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