逃れの道
今朝聖書の黙想のための小さな書に目を通していたら、今日のテキストは「解決法」というタイトルだった。引用されていたのは、新約聖書のコリントの第一の手紙10章13節。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます。」
これはクリスチャンでなくても聞いたことがあるかもしれない、聖書の中では比較的有名な聖句だ。しかし私は、この言葉を今まではあまり好きではなかった。苦しい試練の最中にあると、この言葉はときに虚しく響くのではないかと思っていたのだ。つまり確信がなかった。しかし今朝はなぜか、この聖句が私の胸にとても響いた。この困難は何時までも続くことはなく、いつかは終わるだろうという希望を抱くことができた。これが逃れる道だったのだろうかと過去を振り返って思えるケースが、いくつか想い起こされたからかもしれない。
「逃れる道」はどこかにある。「脱出口」はどこかに見つかるに違いない。
そして、いつか読んだ大江健三郎の本を思い出した。ご長男に障碍があるのがわかり、若い文学者として苦悩していた大江氏に、恩師である学者の渡辺一夫が贈った手作りの城の模型。20年もたってから、その城塞に囲まれた模型の下の方に、大江氏は脱出口があるのに気づいたそうである。恩師は彼に、八方塞がりの状態にも必ず「逃れの道」があることを教えたかったのだろうと思うと、胸が熱くなる想いがしたのだった。このエピソードを思い出し、人生の真実ということは時代や場所が変わっても、私たち人間に色々な形で、生きるヒントを与え続けているのだと気づかされた朝だった。
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コメント
もう1時・・翌日になりました。昨日の昼前にとんでもない
電話が掛かってきました。大問題なのですがまあ心はかなり
平静です。忙しいのにゲームに熱中しているのは動揺してる?
そうも思えるのですが、さて困っています。
私の今までの人生には普通では考えられないような経験も
けっこうあります。事実は小説よりも奇なり・・。
どどんと落ち込んで病気にもなったりしましたが、いまでは
ホント図太くなりました。
それも「逃れの道」かもしれません。旧約聖書には誤って人を
殺めた人、たとえば正当防衛で、という場合などに逃げて
暮らせる「逃れの町」というのも出てきますね。
本当の安らぎは神のみもとにあるのでしょう・・。
投稿: ikko | 2012/01/11 01:07
ikkoさん、コメントありがとうございます。なんですか、大問題に直面してしまわれたようですね。
本当に人間の思いや願いと神様の計画は一致するわけではないので、人間はそれでも上を向いて歩いていくしかないようです。
お互いに困難の解決法がみつかるように、祈りましょう
投稿: ののか | 2012/01/12 08:53