なぜ勉強しなければならないか?
中学に入った娘は、最初から勉強をする気がさらさらない。勉強することについて、すっかり小学校の終わりに嫌気がさしたらしい。それは、授業内容がわからなくなってつまらないからなんじゃないかと私は思う。周囲が私立中学受験の塾にせっせと通っている中、自分は訳あってクラスに交わらない方法で登校していたからだろうか。塾通いもやめてしまい、絵ばかり描いていたものなぁ。そういうわけで日本の歴史が全然頭に入ってないから不安なのか、何年に何があったって覚えて何のためになるの?と訊かれたりする。
私は、歴史は人間の生き方の流れだからね、知っていれば必ず将来何かの判断に役に立つんだよ…何年に何があったってことより、専制君主がいると国はどうなるとか、戦争が起こる時は大抵その裏に他のわけがあるとかわかるようになるわけよ、なんて返事をする。この頃は請われて、日本史の流れを食事の後などに教授している。私の話でわかるのか心配になるけれど、大体教科書がないのに流れだけかいつまんで話してるのだから。でもまあ、知らないよりはいいだろう。
ではなぜ勉強しなければならないか?それはつまるところ、知識をつけて人生に必要な問題を考えるための材料を増やすのに役立つからと思う。だから、テストの点をよくするための勉強が大事なのではなくて、そこそこ最低限の知識の積み重ねは必要なのだが、そこから先、自分の知識をまとめて意見とし、生き方の方向を定めて行くことができるようにならなければ、意味はないと思う。
一方昨日は夕食時、クラシック音楽が聴きたかったのでオムニバスのCDを流していた。あぁこれは、エリック・サティの♪ジムノペティ~次のが♪ジュ・テ・ヴね。サティってこういう人だったのよ…と話していたら、どうしてそういう風に、この曲は誰誰の、とか知らないといけないの?とまた訊かれた。「だって知ってる方が、もっと楽しくいろんなことわかるようになるじゃん。」と私は答えた。その昔そういう風に、曲のある部分を聞いただけで作曲家やタイトルがわかる人のことを教養ある人だなぁと憧れた自分。だけど、確かに知らなくたって何も困りはしないのだ。教養は人間性を豊かにするだけか、と最近私は思う。
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これは随分昔に読んだ本。ここには、なぜ学校に行かねばならないか、が書いてあったと思う。当時は不登校の子を抱えて苦労していたので、なるほど、大江健三郎にはこういう子ども時代があったのか、と感心したものだった。…今私は、学校に行くことが本当に大切かどうか少し疑問を持っている。たとえ学校でなくても、自分と違う考えの人がいること、今まで持っていた価値観が、違うタイプの人たちを知ることで打ち破られることは大事だと思う。…そういえば最近ある人の言っていることにハッとさせられた。「どう納得して死ぬか、そのために勉強は必要だ」と。
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