ジュリーの歌を聴け
むかしむかし時代劇を見ていると、ときどき台詞に出てきたのが「ほの字」って言葉。「ほの字」っていえば「惚れる」っていう意味で、粋な台詞だな~ちょっと古くさいけど、と私は思ったものだった。ところが2012年の現在、テレビや新聞とは全く違う情報源であるTwitterを見ていると、「ほ」は放射能を表す字として使われている。粋な言葉遣いの意味がとって変わってしまった事態になり、私は無念でならない。「ほ」は着実に日本のみならず、太平洋を渡って米大陸にまで及んでいる。大気や海への放出は、とどまることを知らない。全く恐ろしいことだ。
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昨夜は福島第一原発の4号機の冷却装置が前日から危ない状態なのに、ニュースでは殆ど報道しなかった。何が冷温停止だ。全然トラブルは収まっていないのに、総理大臣を含む4人の政治家が、福井県の大飯原発の再稼働の方針を夜になって容認したということ。それでTwitterには多くの人々の嘆きや怒りが滝のように書きこまれている。首相官邸に集まった人々から怒りのシュプレヒコールが次々上がっているのを、Twitterで私は見た。現場は騒然としている。それを報道しないテレビ局。テレビと新聞しか知らない国民は、何も知らないまま危険な夜を過ごす。…私は今日本に起こっていることに気付いた人々の怒りや嘆きの声が、「声なき声」とならないことを強く望む。
更に加えて述べることとして、私はこれまで幾度も歴史の授業で教わった内憂外患という言葉を思い出すのだ。その歴史的な意味を踏まえて、北朝鮮のミサイル騒ぎを考えよう。今や夜の7時や9時のTVニュースは、闇の力にのっとられているかのように私には思える。日本人が知るべきことの順序を決めるのは、どこの誰なんだろう?新聞もしかり。NHKや朝日、日経を信用する時代は、残念だがもう終わった。私たちは騙されてはいけない。これらは戦時中の大本営発表と同じなのだ。深刻な事態は福島でなかなか収拾出来ず、またもやセシウムの降下量が福島県であがっている。さらに、不気味な地震が頻発していることに、我らは敏感にならねばならない。こんな夜に、日本の別の地域で原発を再稼働容認とは、日本人を馬鹿にするにもほどがあるよ、野ブタさん。大飯原発(福井県)は、滋賀や京都、大阪という西の主要都市の80キロ圏内である。トラブルが絶対におこらないという保証が、一体どこにあるのだろう。
今や福島の事故で多くの国民が原発の危険を知ってしまった。多くの人が故郷に戻れなくなり、仕事を失った。実に多くの方が静かに死んでいる。明日もまた翌日も、それは続くだろう。その脅威を本能的にカナリヤのように感じ、健康被害を恐れて子どもを抱えた多くの母親が、西へ北へ逃げている。「ほ」の脅威から少しでも離れるためである。未だ放射能を怖いと思っていない人は、こんな記事を読んでみたらどうだろう→★。少し参考にはなるだろう。
あるいは「ほ」の危険は知っているけれど動けない人たちは、自分なりの納得の仕方で、今までと違う覚悟で毎日を生きている筈。無関心層は、それほど多くはないと私は信じたい。そんな現在、関西電力はもしもの時の対策を十分にとらないまま、本当に原発を再稼働するのだろうか。地元住民たちの同意が、本当に得られるのか?私はとてもそんなことは信じられない。これは日本全体の問題である。いや、世界の問題でもある。
【実家で咲いてるはずの風信子】
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勇気ある往年のスター沢田研二が、歌っているよ こんな歌(F.A.P.P)。今こそ我々は、広島や長崎、チェルノブイリや福島の苦しみを、新たに学ばなくてはいけないと私は思う。映画『核の傷』にとりあげられている肥田舜太郎医師の声を、真剣にきかなくてはならない。生まれ来る子供たちのために。
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