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2012/05/30

♪The Long and Winding Road

私は小さい頃から、弱い者いじめが嫌いだった。いじめられる子を助けて、かわりにひやかされるとか叩かれるとか。でも私は悔しくなかった。そうされたっていいから、助けたかった。正義感が強かったのだ。母はそういう私のことを、損な役回りを引き受けると言って嫌った。そんなこといったって、生まれつきの性格だから変わりようがないのに。

中学か高校のとき宗教慈善委員会に入り、とある老人ホームを訪れた。手分けして、入所しているご老人のお話をうかがった。私が受け持った方は女性で、戦争で旦那様を亡くした方だった。その人は人生を振り返っては、悲しくなるような愚痴を最初から最後まで言っていた。私は大体家に年寄りがいなかったので、老人の相手をどうすればいいのかわからず戸惑ったのだが、その人は不幸な身の上を話したいのである。圧倒された私は、うなずくことしかできなかった。あとから集合場所に戻ると、施設の方がびっくりした顔で「今まであの人と喧嘩せずに話をできた人はいなかった。あなたが初めてだ。」と言われた。こういう職業に適正があるということだったのだと思うが、当時はそれに気づかなかった。

けれどやがて大人になりさまざまな社会に関わるようになると、私は優しそうに見えるらしく、なぜか心の悩みを打ち明けられることが多くなった。それが度重なっていくと、自分は心理学の勉強をしたわけでもないのでどう対応したらよいのかわからなくて困った。励ましていいのか悪いのか、なにをどうしたらよいのか。カウンセリングの勉強をしたいと思ったのは、その頃である。

以後今度は自分がカウンセリングが必要なことの方が圧倒的に多くなり、心理学を本格的には学びそこなった。少し家庭の状況が落ち着いてからは、カウンセリングの講座を受けたことはあるが、資格はない。アートセラピーの小さな資格があるだけだ。当然保育や介護の免許もない。でも不思議な巡り合わせで、本日福祉関係の事務所で面接試験を受けたとき、自分の歩んできた道~とても曲がりくねって長い道のりだった~がやっと繋がったような感覚を受けた。私はこういうところで働きたかったのだ。人のために働くという仕事。人生いろいろあったけど、ようやくその入り口まできたようだと思うと、ひたすら感無量な夜である。恩師はカンボジアの子どもたちの「ともだち」になるために、全てをなげうって日本を飛び立った。私は生活の糧をいただくために働くのだから、先生とは状況が全く違う。でも、やりがいのあることにたどり着けた感じなのだ。何か大いなるものの力に吸い寄せられるように。

【追記】 「二十四の瞳」の大石先生のように、「喜ぶものとともに喜び、泣くものとともに泣く」ことを忘れずに、先輩に少しずつ仕事を教えてもらいながら子どもたちと仲良くなって、祈りつつ頑張ろうと思う朝。

【追記2】不適切な表現があったので、訂正しました(2012.06.02)。

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コメント

気の毒な人。こう表現することが良いのでしょうかね。
そう思われて対応される人の気持ちを考えてね。自己満足にならないよう祈ります。

投稿: サンママ | 2012/06/02 09:32

コメントありがとうございます。さすが本職でしっかり勉強されているかたは、違いますね。「可哀そうね」と言われて何度も嫌な目にあったことがあるのにこれは迂闊な表現でした。それでは、理不尽な目にあって悲しんでいる人という表現にしたらいいでしょうか。

現在目上視線で物を言うこと・することなんてできる余裕もない私です。謙虚にへりくだってひたすら仕えるのみと思って励みます。

投稿: ののか | 2012/06/02 17:40

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