二十四の瞳
この頃私が今もう一度見たいと思うのは、この映画。小豆島が舞台の心温まる名作映画である。…主人公の大石先生は高峰秀子演ずる、新任の若い女の先生。小豆島の小学校の分校にきて、なかなかなじめない環境であっても、子どもたちのために一生懸命教師として勤めている。心温まるエピソードの数々は、私が紹介するまでもないと思う。 でも世の中は段々、戦争へと駆け足で進んでいた。戦時教育についていけない主人公は、教職を辞した。やがて戦争になり、教え子のうち何人かは戦死。大石先生の夫も戦死し、主人公はまた島の教師として同じ学校に赴任する。
教え子たちは、女の子も男の子も、それぞれ困難な時代を乗り越えて数は減ってもそこにいた。戦死した子どもの墓で泣き崩れる先生。先生が島に赴任してから、20年の時が過ぎた。その同窓会の場面。戦争で視力を失った教え子は、みんなで写っている想い出の写真が心に刻みつけられていたのだろう。写真を手にして、ここにいるのが誰でその隣が誰、と全て覚えていてた。教師にとっても生徒だった者にとっても、一番楽しかった想い出がそこにあったのだ。その場面が何と言っても涙を誘い、私は今でも田村高廣の演技が忘れられないのである。
見事な反戦映画であるのに、小豆島の美しい風景と子どもたちの姿が、他にも沢山のメッセージをくれる傑作。やはりもう一度見たい。今からレンタル屋に行ってみよう。
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さて、最近の日本に蔓延している「いやな感じ」の中にいると、こういう悲劇がもっと陰湿な形で今後起こるんじゃないだろか、と思えてならない私。だからこの映画をもう一度見たいと思うらしい。…日本は焼け野原から戦後大きく発展し、生活は豊かになった。私もその恩恵を受けて育った世代だ。ここ数日騒がれているスカイツリーは、その象徴にも見える。…けれど豊かなはずの戦後ニッポンは、実は今やほころびだらけだ。貧富の差は拡大し、夢も未来も語れない現実の中、子どもたちの瞳の輝きは曇る一方に思える。どこに希望を見出せというのだ。これで基本的人権は守られていると言えるのだろうか。健康がこれだけ脅かされているのに、大臣は「大丈夫」と言う。「直ちには。」と言っていた政治家もいた。それを「本当に大丈夫なの?」と疑いながら、子どもを守れなかったのはこの私。まるで戦争中である。この時代を生き抜くには、これまで通りの生活にしがみついていては駄目。何が一番大事かをもう一度考え、なんとか子どもの未来に可能性を残すのが大事と自分は思う。現実は相当厳しい。でもなんとかしたいと思う。だからこれから大石先生に、勇気をもらおう。映画を見てる余裕はないけど、心を元気にしないといけないから。
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