今日も紫陽花の雨が降っている。~ご存知の方はどのくらいいるだろう。Twitterで「紫陽花(アジサイ)」という言葉が、数日前から飛び交っている。先週金曜に首相官邸前で行われたデモで4万5千人が集まったことを、アラブの春の「ジャスミン革命」と重ね合わせて誰かが「紫陽花(アジサイ)」革命」とネーミングしたことから、つぶやかれるようになった。
小さなガクが集まって咲いているように見えるアジサイは、小さなものが結集して大きな花を咲かしているようであるから、各々の思いを抱えた一般市民が集まったデモを称するには確かに相応しいようである。今週の金曜の夕刻にはさて、首相官邸前に何人が集まるだろう。規模は2倍、3倍になるような気がする。
この大規模なデモを一般メディアで初めて大きく詳しく報じたのは、TVでは報道ステーション、新聞では東京新聞だけだった。その前の週のデモが大手メディアに黙殺されたことを考えると、画期的と言えよう。22日の群衆の数の多さにどんな圧力がかかろうが黙殺でききないから一部で報道となったのだろうか。しかし私は、この事態をどうも60年安保闘争と重ねて考えてしまう。
1960年6/15のデモで若者が1人圧死した。それで人々の怒りや嘆きの声は頂点に達したものの、6/19に日米安保新条約は自然成立した。でも7月には民意が反映され、岸内閣を退陣させることはできたのだった。時を経て今盛り上がっている「大飯原発再稼働反対」デモも、同じことになるかもしれないという懸念を私は抱く。覚醒した民衆が目を向けるところではないところで、大きな力が動いているような「嫌な感じ」がある。
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そういえば中学1年生の国語の授業で、「紫陽花」というタイトルの詩を書いたら、先生に名前を伏せて読みあげられ恥ずかしがったことを思い出した。おぼろげにどんな言葉を使って詩にしたか記憶にあるのだが、私はその頃も集合体としてのアジサイの姿に興味があったようだ。そして頭に浮かんだのはこの絵本。小さな魚が集まって自分たちの生命を脅かす大きな敵に対抗するという内容の絵本で、大変有名なのでご存知の方も多かろう。ただし、直面している相手が単純でないところが今の日本と違うと思う。大変事態がわかりにくくされていること、何十年にもわたって国民が誰かの都合のよいように危機意識をそがれていることが問題だ。
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