♪夏色のナンシー
私は大学のサークルで考古学研究会に入っていた。というわけで、アルバイトは大抵授業の休みにあわせ、東京近辺の遺跡発掘をした。そうしてこつこつバイト代をためて、サークルのみんなと日本各地に遺跡を見る旅をした。仙台、近畿、長野など、どれも思い出の合宿であった。合宿が現地で解散になると、そのあとは気の合う仲間でまたさらに貧乏旅行をしたものだ。…アルバイトの発掘作業は、いくら若くても女の子にはかなりしんどい労働だった。私は大きな麦わら帽子をかぶり、首には汗をぬぐうタオルを巻いて、泥だらけになって遺跡の土を掘った。現場にはほかの大学の学生もいたし、ヘルメットの作業員の人もいれば近くの農家のおばちゃんも入っていたから、温室育ちの自分にはいい社会勉強になったと思う。
その夏休み、確か東京の最高気温は人間の体温を超えたとニュースで言っていた。それは今とは違って、大変珍しいニュースだった記憶がある。私の肌は小麦色というのを通り越して、泥の色だった。まだ日焼け止めクリームが珍しい時代だったのだ。…この ♪夏色のナンシー(早見優)は、1983年のヒット曲である。頭のいい先輩が遺跡を掘る時大笑いできるような上手な替え歌にしたので、みんなで面白がったことが懐かしい。…暑い夏の発掘現場でも休憩時間に木陰に寝転ぶと、風が吹いたときとても涼しく爽やかに感じられた事を思い出す。暑い夏の楽しく平和な時間。戻りたくても戻れない青春の時。
それから長い時を経て、私は首都圏を脱出して九州に暮らしている。九州の夏は暑い。私は生きるために与えられた仕事をしている。土器ではなく、小さい子どもたち相手の仕事だ。これまた重労働である。毎日毎日、くたくただ。…真夏になったので、昼時には当然保育所では冷房をつけて小さい子たちに昼寝を促す。しかし興奮して眠れない子は気持ちを落ち着かせるためにおんぶして、冷たい麦茶をいれた水筒と一緒に戸外の木陰に運ぶ。蝉しぐれと焼けるような日差しのなかで、その木陰だけはぽっかりと天国のようにそよ風が吹いて、とても平和だ。子どもの気持ちも落ち着いて、一緒に「いい気持ちだね」と木下の草原に寝転がる。私のお気に入りの木陰は、蝉しぐれから少し距離がとれるから、本当に平和。そんな時思い出した若かりし頃の遠い記憶~♪夏色のナンシー。
今世界は、ロンドンオリンピックでにぎやかだ。私も開会式を録画したものを昨夜ダイジェストで見た。華やかなお祭りだと思った。私が大学生の頃は、確かロサンゼルスオリンピックがあった。一体何年たったのだ?本当にあの頃と今では、日本は随分変わった。バブルははじけ、貧富の差は広がり、国土から緑が消えていき、安心して住める土地も少なくなった。私からしたら、今では発掘作業も命がけだ。…でも私の心に残るあの夏は、ストップモーションのまま。きっと私が生きている限り、いつまでも。
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コメント
ののかさん、ごぶさたさしています
ぴょんです。
おぼえていますか?
考古研のしばちゃんです
ひさしぶりにブログを拝見したら
懐かしい思い出話に私もそうそうと
うなずいてしまいました^^
あの夏に、泥だらけになって土に向かった記憶は今も鮮明に残っており、今の私の支えになっています
九州にお住まいなんですね。
時間の流れを強く感じます
沢山の時間を経るごとに
いろんなことがありますね
今日も暑いです。
体に気を付けて過ごしてくださいね。
投稿: ぴょん | 2012/08/03 07:26
先輩、コメントありがとうございました。あの夏の思い出を共有出来て、とっても嬉しいです(^^)若かったあの頃、本当に楽しかったですね!
先輩もどうぞお元気で!
投稿: ののか | 2012/08/06 10:04