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2012/07/22

パ・イ・ナ・ツ・プ・ル

家の冷蔵庫に、パイナップルの缶詰が冷えている。生のパイナップルが見当たらない日に、スーパーで買った。缶詰なので日持ちがする。だからその日には食べないで、果物をどうしても食べたい時にぜひ食べようと思いとっておいた。ところがどうしても食べたい時がやってきたのに、家に缶切りがなかった。缶切りがないばっかりに、今日もパイナップルは冷蔵庫で出番を待っている。この次食べたくなったら、スプーンを使ってこじ開けよう。

さてパイナップルと言えば、最近私はじゃんけん遊びのグリコで、パーを出した時とチョキを出した時が同じ歩数であることに気づいた。子どもの頃は、グーで勝ったら3歩(グ・リ・コ)、チョキで勝ったら6歩(チ・ヨ・コ・レ・エ・ト)とわかっていたのに、パーで勝ったらグーやチョキより随分先に進めると嬉しい感覚だった私。パイナップルはパ・イ・ナ・ツ・プ・ルで6歩。チョキの時と同じ数だったのに、なんで気づかなかったんだろう。要は私の思考が幼かったということなのだけど、そのことに気づいて笑ってしまった。無邪気な子ども時代が、私にもあったのだな。

話は変わるが、またパイナップルの話題。今日娘が国語の教科書に載ってたよと教えてくれたので読んだ文章がこれ。「雪とパイナップル」。私の好きなパイナップルね!と思いながら読みすすんだら、感動で涙が出てしまった。あぁパイナップル、パイナップル。

雪とパイナップル
雪とパイナップル 鎌田 實 唐仁原 教久

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1986年のチェルノブイリの原発事故のあとソ連が崩壊し、被害が大きかった地域はベラルーシ共和国になった。これはそのベラルーシへ白血病などの治療のために入った日本人医師が、ある少年の闘病を支えた出来事を紹介したものである。~その少年・アンドレイ・マルシコフ君は辛い治療に耐え希望を持って頑張ったのだが、多くの人の尽力も空しく亡くなった。しかしその少年の母親が後年語ったエピソードは感動的だ。移植手術のあと医師に同行した日本人看護婦・ヤヨイさんが治療に苦しむマルシコフ君のために、彼が食べたがったパイナップルを求めて雪の中何日も町じゅうを探し歩いてくれたそうだ。だが貧しい街の商店にパイナップルは見当たらない。しかしその話を伝え聞いたある人が、家にあったパイナップルの缶詰を病院に届けたために、少年はパイナップルを口にすることができ、辛い入院生活を耐え抜いたという。優しい心の輪がひろがったのだ。政府の情報隠ぺいによって愛するわが子を被曝させてしまったことを後悔し、恨みを持って生きていた母親は、看護婦の思いやりによって生きる支えを見つけた。この話は、私だけでなく多くの人の心を打つのではないだろうか。若くして亡くなったが、辛い境遇の中でも希望の灯りを見いだした少年は幸せだったにちがいない。私はこの母親のように、感謝する気持ちを取り戻して、謙虚にしかし真剣に暮らしていこうと、改めて考えさせられた。

【追記】今日読んだブログの記事に少し内容がかぶっているようなので、そのリンク先を紹介する。東京電力で技術員を経験したことのある医師が、独自の経験と考察によって読者に考えるヒントを与えてくれるブログである。内容が真実かどうかわからないが、マスコミの報道が全てではないことを教えてくれると思い、私はこのブログを日々参考にしている。 →院長の独り言  (なお私の お気に入りリンク にある上位の幾つかも、参考にしていただけたらいいと思う)。

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