秋津川のほとり
息子が保養のため、熊本にやってきた。普段より人数が増えて、小さい公団の部屋には彼の滞在2日目にして紛争が勃発。私は疎まれいたたまれず、車に乗って数時間の家出をした。これから数年後子どもが私を必要としなくなったら、私には何も残らないと思うと悲しくなった。
当てもなく阿蘇方面に車を走らせたが、思い直して引き返し、いつしか私は秋津川のほとりに建つ四時軒に来ていた。そこはあまり熊本では知られていない横井小楠(1809-1869)の旧居である。閉館時刻を過ぎていたため中には入れなかったが、川辺の門前に立つと気持ちが落ち着いていくのが分かった。
それから秋津川のほとりを歩き、西の方角に夕陽が落ちていくのを眺めながら思った。横浜の家のそばにも、このように私が一人になりたい時に訪れる場所があった。悲しい時辛い時に、小高い丘からはるか遠くに富士を眺め、私は心を落ち着けたものだった。でももうその生活には戻れない。
そうして再び小楠の佇まいに思いをむけた。四時軒という名のとおり、四季折々の穏やかな暮らしがここにはあったのだろう。不遇の時期に横井小楠は、どれだけこの風景に慰められたことか。今日も川は静かに流れ、遠くに山を眺めることができた。のどかな農村風景は、大分様変わりしてもまだそこに残っている。新たに心の拠り所を見つけた私は、多分幸せなのだろう。悲しい気持ちは川に流れて、見えなくなってしまったから。
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