本気について
今夜、体育で逆立ちを練習中の娘が、自分だけできない困ったと言うので、練習につきあった。逆立ちがなんでこんな年まで出来ないのか、不思議でならない。周囲の友達は、小学校高学年で逆立ちを相当練習したらしく、大抵はできるんだそうだ。
自分はどうだったかというと、小さい頃庭の芝生の上で、飛んだり走りまわったり忙しかった。きょうだいと一緒に逆立ちも見よう見まねで随分挑んでいた。すぐにひっくり返って背中を打ち、息ができない思いを何度したことか。でもそのおかげか知らないが、器械体操は小学校の頃から得意で、高校の時は逆立ちが誰よりも上手だった記憶がある。なにしろ、強制的にやめるまで、いつまでも立っていられるのである。頭に血が上るまでいつまでも。あの安定感は何だったのだろうか。
今夜久しぶりに、逆立ちをしてみたが、まぁ昔ほどではないが難しくなかった。雀百までなんとやら。娘も練習しているうちに、なんとか出来るようになった。怖がっているうちは駄目だけど、練習して感覚がつかめてきたら、あとは大丈夫のようだ。要は、本気かどうかである。本気でやろうとすれば、逆立ちはできる。怖がらなければいいのだ。練習しているうちに勘がつかめたようだ。本気で「逆立ちをできるようになりたい。」と思って、粘り強く練習した成果だと思う。
この頃思うのだが、本気の人と本気でない人では、差が出て当たり前。本気は強いのだ。…そういえばこの間、職場の若い人に言われた。「どうして本気で喧嘩出来るんですか」って。自分ではどうしても解せないことがあったから、私が他の職員にデスクのところで意見して、あぁだこうだとやっていたのを見て思ったらしい。その時私は、本気で意見を言わねばならない場面だったから一生懸命だったのだが、その一生懸命さは、今の時代では恰好悪いことなのかもしれない。…色々考える空梅雨の晩。そろそろ寝ようかな。おやすみなさい。
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