また違う風景
間もなく、東日本大震災から2年9ヶ月。あれから私の状況は大きく変わった。悩んだ末に、関東から九州に移住したのが昨年春。家族は離ればなれになった。それまで我が家の一大事だったことがそうでなくなり、新しく問題が発生し、それまでの悩みごとの重要度が変わった。
私のことを、同居している子どもは「引っ越してから随分変わった」という。以前よりのびのびやりたいことをやっているように感じるそうだ。確かにふるさとを離れ、心が解放された部分はある。気持ちの踏ん切りがついたことが、いくつもある。そして環境が変わったことで、内面的に気付かされることがいくつかあった。
新しい土地で出会う人たちには、昔からここに住んでいる人もいれば、他県からの移住者もいる。東日本大震災をきっかけに移り住んだ母子が、実に多い。私のように身寄りもないのにやって来て、小さなこどもを
抱えて一生懸命なお母さんたち。目に見える被害が大きい地域から来た人は、支援はあっても困難があるし、自主避難した私のようなケースは理解されにくいしんどさを抱え、なんの支援もなく生きている。被災者をめぐる復興庁の基本方針は、自主避難者には冷たい。支援法の理念が活かされていない。そういうのを見るにつけ、この国は被災者を、都合の良いように分断し対立させ利用しようとしていると思う。本当は今こそ歴史をひもとき、水俣や広島・長崎・沖縄を学び直すべき時だ。あるいは、明治維新から第二次世界大戦、戦後の復興とアメリカと日本の関係を。過去を見つめ現在の状況を分析すれば、見えてくることはたくさんある。そうしなければ、権力側のいいようにされるだけだと思うのだ。自分の命はどこから来てどこへ行くのか。よくよく考えて、自分の大事なものの在り方を人任せにしては決していけないと思う。
今日もまた、目の前には日々解決しなければならない問題がある。ご飯をつくってこどもに食べさせる。身支度をして仕事に行く。身の回りで困っている人がいれば話を聞く。なるべく丁寧に、そういう生活を大事にする。それとは別の難問に取り組むことも忘れない。時間をかけて問題をクリアーすると、やがてまた次のことが現れる。違う風景が見えてくる。自分は次に進んだのだなぁと気づく。この道のりは険しすぎることもないが、エネルギーが要る。苦しくても納得しながら頂上を目指す山登りに、私のしていることは似ているとしみじみ思う2013年わりである。
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