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2014年2月

2014/02/20

3年間を記録する

間もなく2014年の2月が終わる。そしてすぐに3月11日がやってくる。すると東日本大震災からまる3年が過ぎ、4年目に突入することになる。

2011年3月11日。昼下がりの2時46分、私は関東にある免震構造のビル5階の図書室で勤務中だった。蛍光灯の明かりが瞬いたように感じ、あっと思った途端大きな揺れがやってきた。私はすぐに梯子を下り、部屋から慌てて外に飛びだした。廊下にある大きな窓の下に広がる風景は、大きく揺れていた。眼下の林も電線も家も全てがゆらゆら。自分も廊下の壁に手を突いたりしないと立っていられない程の揺れだった。まるで船に乗っているような感じで、頭が真っ白になった。研究室の中から同じく廊下に出てきた先生たちが、これは東北を震源とする地震で、沿岸域に広く津波警報が出ていることを教えてくれた。ノートパッドで画面を見せてもらい、私は自分が何かドラマの中にいるような気がしていた。これは現実なのか。こんなことが起こるなんて。

その後4階の事務室の方が心配して迎えに来て下さったので一緒に部屋に戻った。しばらくすると、停電では仕事にならないし切り上げ帰ってもいいと指示を受けた。私は階段を下りて自転車置き場に行き、自転車で坂を下り大きな交差点に向かった。交差点は信号が停電で使えないので、警察官が出て交通整理をしていた。胸が更にドキドキしてきた。小学校に行っている子どもは大丈夫だろうか。今日地下鉄で東京に行ったほうの子どもは無事だろうか。家に残っている母はどうしているだろうか。

道々やっているはずの商店が閉まっているのが不思議だった。しばらく走ってやっと知り合いのコンビニエンストアが開いていたので入ると、レジスターではなく店員が電卓で計算しながら商品を売ってくれている最中だった。私はパンとカップ麺と麦茶や水のペットボトルを購入した。あの日店を開けていて下さった恩は、今でも忘れない。そのあと家のそばまで来ると、外国からの留学生が寮の外で、何人も集まって寒さに震えながら不安そうに立っていた。私は彼女たちの手を握って挨拶してから通り過ぎた。…そして家が見えてきたら、私の母がランドセルを背負った娘と小学校の方から歩いてくるのが見えた。母が孫を心配して小学校まで迎えに行ってくれたのだった。これまた感謝だった。

結局地下鉄で東京に行っていた息子は、電車が止まりバスも大渋滞で思うように運行できない麻痺状態の首都圏から、夜中の1時にやっとのことで帰宅したのだった。強い子だからきっと大丈夫と信じてはいたが、連絡が取れないまま待っていた何時間かは、とても長く感じられた。

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あれから3年。今では私は娘と九州に暮らし、関東に残してきた息子は受験の真っ最中である。さて、この4月からの暮らしはどうなるのか?不確定な要素が多くて心が安定しない日々である。全く落ち着かない。心穏やかに暮らせるようになるのに、一体あと何年かかるのだろうか。分からないことを考えても仕方ないので、私は日々働きご飯を作って家族に食べさせ、友と助け合うことを大切にして生きている。

ここ熊本では震災からの3年間を記録する会が作られ、アンケート調査が始まった。この3年のあいだに、被災地や被災者をめぐる状況は刻々と変わっている。その歩みを記録し、今これから役立つ情報を集め、情報を欲しがっている人に提供できるようにする。そうすることで、第2ステージに入った避難者たちの明日が見えてくるかもしれない。九州や沖縄という被災地から離れた場所だからこそできる被災者支援の方向も、きっと見えてくるに違いない。そういったことは多分、被災地や避難者だけにとどまらず、これからの日本全体にも通じる暮らし方のヒントになるだろうと思う。それらの動きについての記事はこちら→「原発事故子ども・被災者支援市民テーブルくまもと」

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2014/02/13

サラダ玉ねぎ

サラダ玉ねぎ見つけて買って、
昨日の夜はカレーとサラダ。
今朝もも一度カレーとサラダ。
寝ても起きてもサラダ玉ねぎ。
息を吸っても吐いてもね、
身体全体サラダ玉ねぎ。
うは、うは、うはぁ。

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2014/02/10

秘密の花園

今日は大事な用事があって、ある学校を訪ねた。敷地の中に色んな建物があり、学生たちが部活に励んでいた。学園生活から遠ざかっている自分には、とても新鮮な時間だった。

用事の最中、ふと高校時代の懐かしい先生を思い出した。あれは2年生の時のことだったと思う。職員室で先生がくしゃみをしたので、「先生風邪ひかないようにしてくださいね。」と話しかけたら、「お風邪をお召しになりませんように。」と言うのだと注意されびっくり。読書は割合している方だった私だが、風邪をお召しになる、という言葉づかいは知らなかったのだ。

女子校だったので、身だしなみを気にする生徒はよくブラシを持って、髪をとかしていたのだが、先生はそれを発見するたび「そういうことは、人前でしては行儀が悪い」と何回でもブラシを取り上げていた。私は化粧は人前でするものではないことを学んだ。だから、昨今電車などで化粧している女性を見ると、ひやひやする。誰も教えてくれなかったから、行儀の悪いことをしても分からないのだ。

秘密の花園 (新潮文庫)
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この本のことを思い出した。女子校を舞台にしたもので、きわどいシーンがあったと記憶している。私の学校では、実際はそういうことはなかったと思うが、縁のない人から見れば、女子校とは変な妄想をかりたてる雰囲気のあるところなのだろう。

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2014/02/03

飛び梅

東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな

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これは私が7年前に撮った実家の梅の写真。この梅を、私は中学の時から本当に好きで、大事に思っていた。

今生まれた家に帰ることは滅多になくなってしまったので、梅への思いが募る。

菅原道真と一緒にしては申し訳ないけれど、無念の思いが伝わるこの歌が心にしみる、やけに暖かい節分の日の私である。

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