嘆きの母
数日前から、嘆きの母という言葉が頭に浮かんでいる。イスラエルによるガザへの攻撃で、大勢の無防備な市民が殺されているニュース、沖縄の辺野古で基地反対の市民と警察や防衛庁のやりとり、福島は日本かのつぶやきをツィッタ―で目にしてるせいかも知れない。今私自身は、とりあえず安全なところにいる一方で、聞こえてくるニュースは悲劇的なことが多すぎる。
先日横浜の教会に、熊本の安全な野菜をたくさん送った。みんなで分けてくださったらいいなと思ってのことだったが、あとから、教会の庭で作ったジャガイモの収穫をみんなで楽しんだらしいと聞いて、余計なことをしたとくよくよした。しかしだぶってしまってバカなことをしたという思いだけではなく、横浜と熊本でできた野菜の違いについて、分かる人が少ないだろうという絶望感の方が大きい。
私は、福島から250キロも離れていない横浜で、土の安全性を確かめることもなく耕作してできたジャガイモを、小さな子どもたちに食べさせることは、福島の原発事故の後はしていいことだと思わない。教会の庭になったビワを食べろと言われ、それを断って帰宅した娘が怯えていた2011年の初夏を思い出す。どうして確かめもせず、大丈夫と思うのだろう。今すぐ何もなくても、それを疑いもせず食べ続けた子が病気になった時に、責任のある親や大人たちは、どう思うのだろう。何も影響がないはずはないと、私は考える。何か大変なことになったときに、嘆くのは誰だろう。
悲劇に見舞われた子どもだろうか、知らなかったとはいえ子どもを守れなかったと思う親だろうか、無責任にも子どもを危険にさらした教育者だろうか。運よく危険を免れる人はいるのだろうか。今日戦場で子どもを守り切れなかったと嘆く母親と、今東日本で暮らす母親たちが同じことにならないといいと、私は心から願う。
嘆きの母が増えるのは、もうごめんだ。見たくない。こんなこと、もうたくさんだ。戦場に子どもを送ることになるのも嫌だ。平和がなによりなのに、なんでみな危険に気付かないのだろうか。平和を考える8月は、今日からはじまる。
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コメント
お母さまはもう帰られたのでしょうか。久しぶりにご家族そろっての生活ができてよかったですね。
6月23日沖縄の慰霊の日に沖縄に行きました。佐喜眞美術館で、ケーテ・コルビィッツの作品展をやっていました。コルビィッツは、第一次世界大戦で次男を、第二次世界大戦で孫を失いました。彼女の作品は常に母の嘆き、戦争への抗議がこめられています。とても力強い作品が多く、死に向き合いつつ、死と格闘しています。コルビィッツが不条理な死と向き合いつつ、悲しみと怒りを込めてあのドイツの厳しい時代の中で作品と取り組み続けた思いが心に迫ってきました。優しい母ではなく、悲しみと怒りに満ちた母としての彼女に深く、強く惹かれました。
辺野古の基地では工事が強行されています。拷問の道具のような鉄板が引かれ、カヌーで抗議する人たちの命も危険にさらされています。
抗議している人たちは、みんな子どもたちや若い人たちの未来のために闘っているのですね。
原発も基地もいらない、貧しくても美しい空や海、大地の恵みを分かち合う社会になるといいなあ・・・。明日は教会は平和主日礼拝です。
投稿: 千鶴子 | 2014/08/02 17:33
千鶴子さん、コメントありがとうございました。横浜に母の付き添いで行って帰ってきました。久しぶりの関東は、何もなかったようで、私は不思議な感覚にとらわれました。
千鶴子さんは沖縄へいらしたのですね。コルヴィッツの紹介をありがとうございました。どんな時代にあっても、子や孫の不幸を嘆かない母はいないはず。その身になったら。…ただ自分にはそういう不幸は降りかからないと思って暮らしている人が大半なのでしょう。…失ってしまってからでは取り戻せないものを、想像力を働かせて守ることは、どんな生き物でも当たり前のはず。今そこにある危機に一人でも多くの人が気づいてほしいと願います。とはいえ暑い夏。水害も心配です。どうぞご自愛くださいね♪
投稿: ののか | 2014/08/04 11:08