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2016年1月

2016/01/18

♪曇り空

ユーミンの新井由実時代の曲に♪曇り空、という曲がある。気だるい曇り空の曰の気分を歌った名曲で、私は大好きなのだが、昨日はまさにその歌詞にある「外に出たくなかった」1日だった。曇り空ではなく雨空の日曜日。私は用事をキャンセルし、家で過ごした。

ひこうき雲
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それで結局は一日中、炬燵と仲良くした。前日大量に作ったオカラ餠を朝昼食べ、夕方はさすがに買い物に出て、麺類と野菜・肉を買った。好きな料理も面倒に思えたため、夕飯は簡単に焼きそばを作った。こんな日曜日は久しぶり。怠け者ここに極まれり。

そんな昨日は阪神・淡路大震災から21年目の1月17日だった。あの日の私は妊婦だった。妊婦はとても弱い存在であると実感しながら暮らしていた私は、西で起こった天災に怯えて涙した。被災地の妊婦たちは、一体どれだけ困っているだろう?夜明け前の冷たい暗がりの中、残酷な災害に命奪われた人、肉親を失った人、怪我をした人、財産を失った人、夢が壊された人、人生が狂った人…。

曇り空で洗濯物が乾かず困ってしまう、という程度の日常生活の困りごとは、少し工夫すれば乗り越えられることである。しかし大きな災害で日常が壊れてしまうと、生活自体を元に戻すとか立て直すのは、容易なことではない。私の九州での生活は、間もなく4年。昨日のような1日は滅多にないけど、こんなこともできるようになったんだなと思う。生き残った者は、それでもなんとか生きていける。曇り空も、いつかは晴れる。そんなことを考えたりした日曜日は終わった。

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2016/01/15

チャプチェ

昨夜は娘のリクエストに応え、韓国料理のチャプチェ(春雨の炒め物)を作ってみた。甘辛い味付けはCOOKPADを参考にした。胡麻油の風味と醤油や甘味・辛味が特徴のおかずだが、私はあまり砂糖を使いたくなかったので、砂糖は少しにして味醂と旨味のある麦醤油麹を代わりに入れてみたら、なかなか美味しくいい感じになって満足した。

手順としては①温めたフライパンに胡麻油とにんにくを入れ、にんにくが焦げる前に玉ねぎやニンジン・干し椎茸(我が家ではとても稀)を中火で炒める。②具材がしんなりしたところに調味料を水と一緒に入れ、ぐつぐつしてきたら、予めお湯で固めに戻しておいたサツマイモの春雨を入れて汁を吸わせる。③青味の葱と胡麻油で仕上げる。

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これが年末に武蔵小山の韓国料理屋で食べたチャプチェと、味の上では遜色ない仕上がりであったので、食べたがっていた娘が大喜びした。頼まれた自分も実はまた食べたかったので、大乗り気で挑んだ料理が成功して楽しい夜となった。決め手は、上記のように味付けはもちろんだが、春雨を緑豆製ではなくサツマイモのデンプンで作ったのを使用したことにある。正確には九州のサツマイモと北海道のジャガイモから作った、昔ながらの春雨と袋に表示があった。今までは売っていることに気づかなかったのだが、ここの近所のスーパーマーケットの商品棚にあるのを昨日見つけたのだった。

正直こんなのが普通に安く売っているなんて、ビックリだった。私はチャプチェを作るシーンを韓国ドラマで何度も見たことがあったので、韓国ドラマファンの主婦が増えたからチャプチェ用にスーパーマーケットにサツマイモの春雨が置かれるようになったのか、それともサツマイモの産地に近い地域だから、中国の緑豆春雨ブームに負けないで置いてあったのか、真偽のほどは分からない。昔『台所から北京が見える』という本が出たことがあるが、私の家の台所からも、いろんな事が見えてくる気がして、料理はやっぱり楽しいと考えた日になった。おわり!

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2016/01/10

逃れの道

新学期が始まると、あちこちで学校に戻れないと悩むあまり命を絶つ若者のニュースが聞こえてくる。痛ましい限りである。もう少し生きてゆくと、もっと辛い試練が待っているかもしれないが、思いもしなかった救いがあるかもしれないのである。トラブルの明確な解決方法が分からなくても、逃れの道はきっとあるだろうに。

ここで「子どもには取り返しのつかないことはない」と昔大江健三郎の本で読んだのを思い出した。それから、大江健三郎が恩師の渡辺一夫からもらったという置物のエピソード。壁で囲まれた城をよく見たら、城からの逃れの道があったという話。あれはどの本に書いてあったのだろう。

それが気になり時間があったので、私は駅前の図書館まで行ってみた。三連休の割には空いていた。大江健三郎の書棚だけでなく、書庫にある見覚えのある本も出してもらって、あちこち見るが見つからない。大江ゆかりの挿絵があったはずだが、昨日は結局分からずじまい。それでも図書館は私の大好きな場所なので、ゆっくりゆっくり館内を回った。絵本コーナーで知人に会い、一緒に良さそうな本を選び近況を伝えあったのが嬉しかった。出来心で引いた図書館おみくじは「凶」。苦笑いしてあまり読まずにそこに結んできた。

帰り道。買い物の前に馴染みのギャラリーを覗いたら、画廊主である友人の姿が見えたので寄り道。コーヒーを一杯御馳走になって色々話した。いい作品を見せてもらい感謝。なかなか手はでないけど、本物を見るのはとても私には有り難い豊かな時間であった。~このように、実生活では悩みが尽きない大人でも、逃れの道は用意されている。取り返しのつかないことは、たぶん滅多にない。

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2016/01/06

親孝行

正月5日。やっと横浜の実家から九州の自宅に戻ってきました。年を跨いで8泊も!長い実家滞在で癒されたこともあればくたびれたこともありました。しかしとにかく、成長中の子どもたちにとってはよい気分転換になったようですので、何よりでした。

滞在中は何人もの懐かしい方にお目にかかれたことが、自分には有り難いことでした。昔から私を知っていて、一緒に笑って苦労した仲間や恩人・友達・家族は、私のかけがえのない宝です。滅多に会えなくても心で繋がっていたことを確認でき、ほっとしました。

実家ではほんの少しですが、残してあった荷物の整理をしました。子どもが初めて描いた絵や小物入れにあった子どもたちの乳歯、子どもの手紙など。まだあったんです、たからもの。

「ママ、覚えてるでしょこの手紙。」とにこにこ顔の娘に言われたけど、どうもそこら辺は怪しいので答えは濁しておきました。私への感謝の言葉が丁寧な字で綴られていました。「これからもおやこうこうしようね。」と結びに書かれていて、親子でクスクス笑いました。8歳の娘からの手紙。今度はちゃんと持ってきたから大事にします。有り難う♪

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2016/01/03

新しい歌

今日は新年の礼拝で、生まれた街の教会に行きました。

会員の皆さんが讚美する歌声の力強さに驚き、励まされました。

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そして礼拝の後、私の家族のような懐かしい方たちに混じり、恒例のぜんざいを食べました。

お正月はこれに限ります。美味しかったです、ごちそうさま♪

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2016/01/02

♪生まれた街で

短くてもいいのでできるだけ毎日、今年は記事を更新しようと思う。今日は正月恒例、箱根駅伝往路の日。

横浜で正月を過ごすのは2011年以来5年ぶりになる。2011年3月、息子が中学を卒業した2日後に、東日本大震災が起きた。地震による巨大津波が三陸沿岸等を襲い、福島では東京電力の原子力発電所が壊れ、爆発した。テレビでは繰り返し津波が街を襲う映像が流れ、多くの人命が失われたことに世界中がショックを受けた。原発の事故についても悪夢としか言えない状況になったが、真実が報道されたのではなかった。あのとき日本は何週間もの大混乱に陥った。その中で情報を一体どこから得るか?家がどこにあるか?そして各々の家族や住まい・健康の状況によって、人々の身の振り方が決まっていった。

福島だけでなく放射能の影響が横浜にもかなり及んだ(でいる)と判断した私は、悩んだ末年度内にどこか西日本へ移る決心をして、2012年の正月は移住下見に訪れた九州で迎えた。~ウィークリーマンションの小さな台所で雑煮を作り、娘と二人だけで食べた。その時福岡で買った餅が丸くて驚いたこと、あまおうという苺を食べたこと等を覚えている。結局その春食べ物や水が安全で、我が家になにかと縁があった熊本へ引っ越してから、私はずっと正月は横浜に戻ってこなかった。

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長い前置きになってしまった。・・・さてこうして久しぶりに生まれた街で何日も過ごすと、忘れていた過去を色々思い出す。それはまさに引き出しの奥からひょっこりと姿を見せるような感じで、あの頃の気持ちを呼び覚ます。そして再び今ここを眺めると、悲しいことに「私だけが変わりみんなそのまま」(♪ハルジョオン・ヒメジョオン)であることを思い知った。歳月を経てみな当然変わったのだが、このままここで暮らしていてはやがて滅びてしまうという危機感はどこにも感じられない。見えない日本崩壊の影が確実に忍び寄って来ていると、東京を離れた私は感じているのに、首都の外れの住宅街は、今日も平和に陽が昇った。

自分が居なくなった世界で、みんなが普通に暮らしている ことを垣間見たショック。今の暮らしに行き詰まり、故郷が懐かしくなって帰って来たのに、もはや自分の居場所はあるようでない。これからどうなるのか、なかなか見通しがつかないのだから情けない。とにかく数日中になんとかこんな気持ちを整理して、気持ちよく九州に戻れればいいと思う。九州には九州の、私たちの生活が待っている。明日は日曜日。教会で静かに新年の祈りを捧げよう。心の声を正直に聞いてみよう。

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