♪生まれた街で
短くてもいいのでできるだけ毎日、今年は記事を更新しようと思う。今日は正月恒例、箱根駅伝往路の日。
横浜で正月を過ごすのは2011年以来5年ぶりになる。2011年3月、息子が中学を卒業した2日後に、東日本大震災が起きた。地震による巨大津波が三陸沿岸等を襲い、福島では東京電力の原子力発電所が壊れ、爆発した。テレビでは繰り返し津波が街を襲う映像が流れ、多くの人命が失われたことに世界中がショックを受けた。原発の事故についても悪夢としか言えない状況になったが、真実が報道されたのではなかった。あのとき日本は何週間もの大混乱に陥った。その中で情報を一体どこから得るか?家がどこにあるか?そして各々の家族や住まい・健康の状況によって、人々の身の振り方が決まっていった。
福島だけでなく放射能の影響が横浜にもかなり及んだ(でいる)と判断した私は、悩んだ末年度内にどこか西日本へ移る決心をして、2012年の正月は移住下見に訪れた九州で迎えた。~ウィークリーマンションの小さな台所で雑煮を作り、娘と二人だけで食べた。その時福岡で買った餅が丸くて驚いたこと、あまおうという苺を食べたこと等を覚えている。結局その春食べ物や水が安全で、我が家になにかと縁があった熊本へ引っ越してから、私はずっと正月は横浜に戻ってこなかった。
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長い前置きになってしまった。・・・さてこうして久しぶりに生まれた街で何日も過ごすと、忘れていた過去を色々思い出す。それはまさに引き出しの奥からひょっこりと姿を見せるような感じで、あの頃の気持ちを呼び覚ます。そして再び今ここを眺めると、悲しいことに「私だけが変わりみんなそのまま」(♪ハルジョオン・ヒメジョオン)であることを思い知った。歳月を経てみな当然変わったのだが、このままここで暮らしていてはやがて滅びてしまうという危機感はどこにも感じられない。見えない日本崩壊の影が確実に忍び寄って来ていると、東京を離れた私は感じているのに、首都の外れの住宅街は、今日も平和に陽が昇った。
自分が居なくなった世界で、みんなが普通に暮らしている ことを垣間見たショック。今の暮らしに行き詰まり、故郷が懐かしくなって帰って来たのに、もはや自分の居場所はあるようでない。これからどうなるのか、なかなか見通しがつかないのだから情けない。とにかく数日中になんとかこんな気持ちを整理して、気持ちよく九州に戻れればいいと思う。九州には九州の、私たちの生活が待っている。明日は日曜日。教会で静かに新年の祈りを捧げよう。心の声を正直に聞いてみよう。
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