本震のあと
結局、2016年4月16日未明にあった2度目の大地震が本震だった。その時私は娘とやっと布団を並べて寝ていたのだが、激震に飛び起きた。今度は人が大勢死ぬとすぐに分かったが、自分は死ぬ気がしなかった。しかし家の中の音が凄まじい。今回は一瞬停電した。
食堂の本棚はかなり傾きストッパーになっている食卓や周辺に物が散乱。台所も今回はコップや皿が飛び出して落ち壊れていた。玄関や和室の家具が数十センチ移動していた。娘の部屋の本棚も大分移動。納戸の扇風機が飛び出ていたり、いたるところが散らかった部屋に呆然となる。
余震が怖いので高熱の娘と部屋を出て、車中で夜明けを待つことにした。しかし駐車場ではWi-Fiが繋がらない。ラジオで被害状況を伝えるニュースを聞きながら運転し、コンビニかどこかの無料Wi-Fiを探した。今回は停電のせいで店は開いていなかった。それならと、いつも買い物をする有機生活の駐車場に行ったら、とぅから家クルーの面々と出会えて安心した。
娘は具合が悪いままなので、車でゆっくり氷枕と毛布を渡して休ませ、自分は炭の火の周りで暖まらせてもらった。おもちやパンを焼いて食べさせてもらい、美味しい味噌汁もいただいた。トイレも貸していただけて、どんなに有り難かったことか。
実は離れて暮らす息子の安否が、午前4時まで分からなかった。携帯電話が通じなかったのである。無事と確認できたときは、ほっとした。強い子だから大丈夫とは思っていたが、流石。部屋が歪みドアが開かなくなったので、冷蔵庫の野菜を料理し風呂にも入り、明るくなるのを待ち窓から脱出。原付バイクで20キロ走って合流。よくやった。ようやく一家揃って部屋に戻りひと休み。身の回りのものをまとめた。激しい余震が続く熊本に、これ以上熱を出した娘とは居られない。昼前に私は、福岡に向け脱出を開始した。
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