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2016/06/27

お日様プリーズ

熊本のこのところの雨はひどいものだった。雷と大雨の夜の間、鳴り響く携帯のアラーム音。地震でなくても鳴るんだな。おかげで寝不足になり、通勤時に雨のせいで渋滞もひどいのが重なり、イライラ疲れた。

地震で避難所にいる人の車が校庭で水をかぶったり、新たに避難してきた人たちが避難所になじめず、雰囲気が悪くなったという話を聞いた。

せっかく地震の後始末を終え農園や工場が動き出したのが、激しい雨による川の増水や崖崩れでやられたという話も聞いた。

応急措置で落ちた瓦の部分から雨漏りしないためになんとか工夫して(あるいは業者やボランティアに頼んで)ブルーシートをかけてある屋根が雨漏りし、畳をはじめ家財道具が濡れて、ぐずぐずになっているそうだ。これからカビが発生したらどうやって乾かし補修するのだ?ブルーシートの耐久性は、非常に短い。瓦は全然調達できない。大工が足りない。工事は一年先とかざらに聞く話だ。

地震で半壊になった家にいる親を、引き取らなくてはいけなくなったが、自分の家には親が入れる部屋はないとか、どうにも片付かない家を諦め親戚宅に身を寄せたとか、もう事業がたちゆかなくなったから廃業するとか………。

全てが悲劇。どれもが一大事。そういうことがどんどん重なっていく。

せめて晴れてくれれば。お日様が出た今日の日曜日。私は嬉しくて自転車で、町まで行った。町にはそういう日常を忘れたい人が大勢出てきていた。中には、夕方また避難所に帰る人もいるんだろうなぁと思いながら、私は美容院に行き、帰りにはちょっとお買い物をして、お日様の中自転車で家に帰った。大分気分がよくなった。

それでも人間、自然を操作はできないから、なんとかこうとか生きていくしかないんだな。神様にはせめて、これ以上の試練を熊本には与えないで下さいと祈ります。お日様をください、適度でいいので。どうぞよろしくお願いします。

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2016/06/08

2016年3月 岩手へ

今年の3月に、友人を訪ねて岩手県に行きました。盛岡観光ガイド→☆

岩手県では今年国体があるそうで、あちこちでわんこそばのキャラクタ―がついたポスターを見かけました(→☆ )。でも私は同じ名物でもわんこそばではなく、じゃじゃ麺に挑戦。白龍(バイロン)のカワトク分店にお邪魔しました。美味しくて楽しかったです。平民宰相・原敬生家近くにある鉈屋町に泊まったのもいい思い出。 →盛岡町屋体験宿泊  

翌日は小雪が舞い寒い寒い朝でした。熊本では桜が咲いているのに、東北はまだまだ春は遠いと思いました。私は車に乗せてもらい、盛岡から遠野を通り釜石へ。時は春の選抜野球大会。21世紀枠で出場した釜石高校の応援で、町は盛り上がっているようでした。町は東日本大震災から5年で、随分元気を取り戻したように見えましたが、私たちはさらに進んで大槌町()へ。

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大槌町は、浜辺から見えるところに蓬莱島というひょうたん形の島がある、三陸の小さな町でした。ここはあの東日本大震災の大津波によって、町が根こそぎ破壊されてしまいました。あれから5年。これが今の大槌町の写真です。墓地がある丘から全景を写しました。中央に多くの行方不明者を出した役場が、そのままの姿で建っているのをみとめられます。山の方の仮設住宅には、今なお多くの方がお住まいだと聞きました。盛岡から沿岸部へゆく道も整備され、国体のための工事が盛んな岩手県ではありますが、暮らしが元通りにならない人たち取り残されたようになっていることに、私は少なからず衝撃を受けました。~案内してくださった方のあの日の記憶を、途中休憩した遠野の風の丘で伺いました。誰にでも一人一人のかけがえのないストーリー(物語)があるということを、しきりにおっしゃっていました。~津波に飲まれた人もそうでなかった人も大きな傷を負い、それを抱えたまま暮らしている現実は辛すぎます。この土地で幽霊の話がよく聞かれるというのも、うなずけます。

歴史をひもとけば、これまで何度も津波が襲った町に、いくら土地をかさ上げするとはいえまた同じ町を建設することの是非が、検討されなければならないでしょう。震災を機に人々の心を押しつぶした瓦礫は、今はもうありません。あの瓦礫広域処理騒ぎはなんだったのでしょう。九州で聞いた話と、東日本大震災の被災地で感じたことには、随分隔たりがあると私は思いました。

駆け足の旅でしたが、最後は光原社を案内していただき満足しました。光原社といえば宮沢賢治。この絵本、私はそういえば持っています。

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盛岡や遠野は、若い頃から一度は訪れてみたい場所でした。今回はそれらのほかに友人のはからいで、遠い大槌まで足を延ばすことができ、現地で被災者支援をしている方々とも知り合うことができました。たった一泊でしたが、忘れることのできない旅になりました。というのはこのあと4月に、私は思いかけず熊本地震を経験することになったからです。

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2016/06/01

記憶の断片 ―地震前―

熊本城周辺~春~

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2016年4月13日の夕空~熊本市東区~

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私の居場所

私は今年の初め、数か月後に熊本地震に遭うなど夢にも思っていなかった。だから平凡に、今年は任期が切れて美術館の仕事をやめるので、それからあとどうしようかと考えていた。そういう心の動きをせめてこのブログに残そうとか。しかし娘の受験があって落ち着かず、なかなか記事の更新ができないまま被災。今に至る。

この写真は、ブログを始めた頃に隣の庭のユスラウメを収穫したときの1枚。平和で穏やかな記憶がつまっているので、気に入っている。時を経て土地は変わり地震に遭っても私は、再びこんな時間を過ごせたらいいと思っている。

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それには私の居場所が必要だ。家の中は余震に備え、いまだ本棚の荷物が床に幾つも積んである。そのせいで机に腰かけることもない。だからかもしれないが、事務仕事がはかどらない。礼状も出せないまま、blogの記事も更新できないまま。これでは今死んだら後悔する。先週の木曜、息子の住んでいたアパートの荷物は運びだした。罹災証明は昨日受け取った。判定は「半壊」だった。今は東京に身を寄せた息子に証明書を送ったら、私は通常運転に戻りたい。

今日から6月。地震からひと月半が過ぎた。もう本棚に本を戻そう。非常時から抜け出そう。私の居場所ができたなら、たまった仕事をやっつけよう。時には家に人を招いてお茶を飲もう。恐れも嘆きも苦しみも、私にはもう必要ない。

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