名前を呼ばれる
福知山線の電車事故から、今日で13年が経ったそうである。月日が流れるのは早いものだ。
私はあの時何をしていたかというと、子どもたちを連れて横浜に帰り、体調が整ってから始めた仕事で、大岡山の東京工業大学に出かけたところだった。ちょうど昼時だったので、適当な食堂を見つけて入りテレビを見たら、あのニュースをやっていた。あまりの大惨事に言葉を失ったのを、今も鮮明に覚えている。
それから1年後。書いた記事がこちら (←ここをクリック)。あの事故でお子さんを失ったこの記事の関係者かもしれないが、この長らく放置に近くなっているblogでこの記事の閲覧回数は多い。事故の検証が行われ誰かが責任を問われたとしても、失われた命は帰らない。人の日常とは、なんと儚く脆いものなのだろう。
この事故で運命が変わった人が、どれほどの数に上るのか想像もつかない。あの電車の一両目に乗っていた学生が、名前を呼ばれて意識を取り戻し生き延びて、巡り巡って私の人生にも関わりを持つようになったということを、最近知った。人の運命とは、つくづく我々の願いや嘆きを超えたもっと大きなものに動かされているのだろうな、と思わされる出来事である。
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