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2020/03/31

コロナの時代~突然の明日~

思いがけぬことで人生の落ちるところまで落ち、私は一回死んだ。それから私は、どこをどう見ながら生きていけばいいか手探りのなか、日々のことを当時はやりのブログを書くことで少しずつ元気を取り戻した。このブログはその記録である。

しかし2011年3月の大震災のあと東京から離れたいと九州に渡ってから、すっかり更新できなくなって数年が経つ。その間時はSNSの全盛を迎え、私はしばらくFacebookに写真とともに献立日記を載せて生存していた。移住は想像を超える大変なことだった。悔しくて泣き、しかし新たな友と地元の支援者を得てようやく生活が落ち着いてきたなと思ったら大地震。あれは4年前。それからまたも苦難の日々。仕事に恵まれない一方被災地ボランティア活動に精を出し、生きがいを感じながらなんとか自分らしく暮らせるようになったこの1年。状況は大きく変化した。子どもたちは成長し、それぞれの土地で勉強に励むようになりった。私は結婚前以来の一人暮らしがはじまり、この土地に住み着こうという決心がついたのだが、新たな就職で苦労。なんといってもコロナ直前の病院の救急外来の受付業務をしていたのだ。夜勤ですっかり体調を崩し、もちろんブログどころではなかった。転職しなければ身がもたないと、履歴書を書いてあちこちあたって年があけた。そして迎えた2020年は、それまでとは全く違う年になった。

今日で1年の4分の1が終わるわけだが、新型コロナウィルスという未曾有の疫病蔓延で世の中があっという間にひっくり返ってしまった。それを受け、今私は再びここにあれこれ書き込む気持ちになっている。自分の意思で外に出られるのは、今日が最後かもしれない。いや、あと数日猶予はあるかもしれないが、日本でも感染爆発が止められなくなっている。緊急事態だ。1月末に中国の武漢がこの病気のためにまず封鎖された。その頃私は月末の月に一度の上京に際し、ひとつき後は高齢の母の訪問をできなくなるだろうと思ったことは覚えている。実際2月の上京はパスした。しかし3月春分の日は、予定通り行われた親戚の結婚式のため上京した。高齢の母の付き添うためであった。逡巡の末の披露宴参加のおり、「こんなことしていられる今は瀬戸際」と感じた。帰りがけ目黒川に咲き始めた桜を見上げて、こんな日はもう二度と来ないのだろうなと思った。薄曇りの中見上げた空は、暗かった。311の後よりもっと、暗かった。そしてやはり、その連休を境に日本の雰囲気は一変した。オリンピックはついに延期が決定。コロナ感染者の発表も、日に日に激増していった。昨日はとうとう芸能人にコロナ感染による死者が出たと報道があり、もうまもなく第二次世界大戦の時以上に予測がつかない戦争に日本も突入するようだ。

こうやって「突然の明日」はやってきた。今までは当たり前のことが当たり前でなくなる未来。私は311以来楽しみを先延ばしにすることはやめてきたが、それでも色々な後悔が多い。何より残念なのは、今が念願の大学図書館勤務が始まったばかりのタイミングであることだ。若い頃の夢がとうとう叶い常勤の職員として本に囲まれる幸せを味わえたのに、明日からはどうなるのだろう。不安と心配の春である。

 

 

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