大惨事の記憶
現在は2021年1月19日の夜明け前である。一昨日の1月17日は、阪神淡路大震災から26年という日であった。その時私はお腹にはじめての子を宿した妊婦で横浜にいた。時刻は5時46分。横浜でも震度2、神戸や淡路島はなんと震度6という大地震だった。
多くの人はまだ温かい布団の中で微睡んでいる時刻。しかし家族のために弁当や食事準備で台所に立っていた人もいただろう。新聞を配っていた人もいただろう。電車を運転していた人、トラックで荷物を運んでいた人。第一報は大阪から。倒れた家具に当たって亡くなった女性が1人。その死者の数は夜が明けて9時10時になってもなかなか増えなかった。テレビ報道では長田地区で発生した大火災の炎と黒煙、倒壊したビルディングや高速道路などの建築物の映像を繰り返し流していた。テレビの前の自分は、まるで特撮の映画やテレビ番組のような大惨事の映像を眺め、名も知らぬおびただしい数の犠牲者がそこにいることが容易に想像がつくため恐怖に震えていた。戦争中「火垂るの墓」で空襲に遭った神戸の街が、今度は地震で破壊され燃えていた。
誰が見ても被害は甚大。多くの人の運命が変わった1995年の阪神淡路大震災。その後日本は2011年には東日本大震災を経験した。~あの日三陸海岸を襲った大津波、首都圏の交通麻痺。あれからまもなく10年になるが、何より大きかったのは地震による電源喪失で引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の核爆発事故であった。広域にわたる放射能汚染。スリーマイル島やチェルノブイリ事故を上回る規模の大事故だったため、日本では原子力緊急事態宣言が発令された。今だそれは解除されていないのであるが、あろうことか福島から200キロの東京で、日本はオリンピックを開くのを諦めていない。
ひるがえって、昨年から世界を覆う新型コロナウィルスの感染爆発は、とどまることを知らない。目に見えないウィルス。正直何がなんだか分からないことだらけ。嘘か真か判断がつかない。どうしたらよいのか、振り回され続けるのは気持ちが悪い。火事は目に見える。熱い。放射能は測定できる。しかし目に見えないウィルスの広がりは把握できない。人の頭の中も心のうちも、可視化できないのである。人の命と国のシステム、どちらも大切ではあるが、どちらが重要かといえば答えは決まっている。
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私たちが生き延びるには、これからは助け合っていける仲間とどれだけ多く繋がれるかにかかっているような気がする。目に見えなくても繋がれる仲間と、心をやり取りし支え合う。そういうことを、多くの災害を経験してしみじみ大事にしたいと思うと朝である。
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