今朝NHKのドラマ「てっぱん」を見たら、マラソンの応援のための旗を主人公の暮らす下宿の人達がつくるエピソードがあった。それを見たとき、私は応援ということについて改めて考えた。…自分が年末にマラソンを走った時のこと、苦しいときに今まで自分を支えてくれた人たちのことを思い出し、そのエールを感じて足を前に出した。自分がその時点で全体のどんな順位にいるのかわからず、ゴールも見えず、ただ一生懸命走っている時に、見ず知らずの沿道の人から受けた多くの応援。それがどんなに励みになったことか。レース中くじけそうなとき、タイミングよくかけらえれた一言ひとこと。頑張れよ、という励ましの眼差し。そのおかげで、私は目標だったゴールにたどりつけたと思う。そしてそのような人生のエールを受けて、私も家族も今までここまでやってきたんだろうと感じている。多くのよい出会いと交わりの中で受けた好意や応援に、心から感謝している。
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息子は大勢と一緒に学ぶことが苦手な特性がある。だから小学校高学年のときから、多くの人に迷惑をかけたし、自分も苦しんできた。家族も大いに悩んだ数年間だった。「みんなと一緒でいい、普通でいいのに、なんでうちは普通にいかないんだろう。」と悩んだ。しかし悩んでいてもしかたない。中学になってからは、学校以外に息子に一番合った環境を探した。小学校のときからなじみのあったフリースクールに週に幾度か通い、その合宿で自然に親しみ、身体に良い食べ物をとって、息子は随分成長したと思う。得意科目をどんどん勉強して伸ばし、得意ではない教科は別の専門機関に行って息子の状態に応じた指導方法によって学んだ。そして息子が自分で納得した進学先が見つかった。きっと4月からは高校に、胸を張って通学できそうだ。
明日は中学の担任の誘いにのって、先生への恩返しのために卒業式への参加を決めた息子。きっと先生の適切な指導もあったので、クラスのみんなと最後の集合写真を撮る事ができそうだ。私としては夢にも思っていなかったことが起ころうとしている。明日を迎えるのが、今からとても怖いし嬉しい。こんな日が来るなんて。。。
今実感していることは、「特別な子にぴったりな支援は、待っていては受けられない状況」なのが私が暮らしている地域の現状だ、ということ。小学校も中学も、みんな一緒であることが求められ、教師たちは余裕がないからみんなと違う状況の人たちに対応することができない。支援を担当している教諭も余裕がない。予算もなければ人も足りない。しかし、子どもの成長に「待った」はきかないのである。だから親が余裕があってもなくても、出来る限り頑張るしかないのである。そうなると、横の繋がりが大切になってくる。同じような状況の親同士が連絡を取り合い、情報を共有して、孤独に陥らないようにするのがポイントだ。こうあるべき、と現状を嘆いたり怒っている間にも、子どもは毎日問題にぶちあたっては悩むのである。考えてみれば、マラソンと同じぐらい苦しい道のりだった。ゴールはまだ見えない。だけど、このマラソンの主人公は子どもであって、私は応援者であるということも、いつも肝に命じなければならないのである。
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これからも私はときには間違うこともあろうが、しまった!と思ったら気持ちをリセットして適切な道を再び探し、子どものために環境を整える手伝いをしていきたい。応援してくれる人たちのことを忘れずに、勇気を出してあきらめず、できれば元気で笑いながら、毎日を過ごしていきたいと思う朝である。
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