2022/06/30

半分が過ぎた

今日は6月30日。

1年の半分が今日で終わる。あと半年が過ぎると2022年が終わる。

 

九州に来て10年経ったが、この度急に関東に戻ることになった。

家庭の事情があってのことだが、この後ずっと住みたいわけではない。

 

仕事はないし悔しい思いをするし、地方に住むのはもうこりごりなんだけれど、

自然環境や10年築いた人々との繋がりを考えると、とても去りがたい気持ちでいっぱいである。

 

さぁ、これから私の人生どうなるのか?

10年分の荷物をほとんど処分しなければならないと思うと気が重い。

せっかく去年引っ越したばかりなのに。

せめて引越の時に、フェリー旅をしよう。それぐらいしか楽しみがない。

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2022/06/21

恐れるな、わたしはあなたと共にいる

これは20年近く前、とても大変な気分の朝に冷蔵庫に貼ってある

子ども用のみことばカレンダーにあった聖書の言葉です。

旧約聖書のイザヤ書41章10節にある言葉。

この言葉に励まされ、勇気を出して、今日まできました。

色々あったけれど、子どもたちは成長して今は安心して暮らせているのですから。

 

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2021/06/21

夏至

今日は夏至。1年に1度の特別な日。

今年は九州の梅雨入りが早く、ずっと雨が続くのかと案じたが、この週末はもう夏が来たのかというような晴天だった。昨日は朝から礼拝に行き、友人の携帯契約に付き合ってから帰宅。暑さが和らいだ夕方に車で南阿蘇村まで車を走らせ、ひなびた温泉に入り、露天風呂から山や空を見上げた。

この平和な生活は、20年近く前のこの日、家を出たから実現できた。あれからも何度も人生の危機があり、そのたびに決断があり、行動があった。

「恐れるな、私はあなたと共にいる」(旧約聖書イザヤ書41章10節)。この聖書の言葉をあの日カレンダーで目にし、勇気を振り絞ってよかった。情けない境遇に泣き、親や夫を恨み、ぼろぼろになったけど、苦労して生き延びて、生を繋ぐことができた。神に感謝。

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2020/08/26

呪いの言葉の解きかた

私が最近気に入った本は、国会ストリートビューでおなじみの上西充子さんの著書だ。

呪いの言葉の解きかた (←ココをクリック)

>「私たちの思考と行動は、無意識のうちに「呪いの言葉」に
縛られている。そのことに気づき、意識的に「呪いの言葉」
の呪縛の外に出よう。
思考の枠組みを縛ろうとする、そのような呪縛の外に出よう。
のびやかに呼吸ができる場所に、たどりつこう。
――それが、本書で伝えたいことだ。」(本文より)

実に面白い。ためになる。特にドラマ「逃げ恥」の石田ゆり子が演じた百合の台詞に思わずため息。

 

 

 

 

 

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2020/08/23

コクリコ坂から

金曜の夕べ勤務を終えて帰宅すると、ポストにレターパックで何かが届いていた。開けてみるとぷーんといい香り。なんと横浜の親友から手作りクッキーが送られていたのだった。楽しい手紙も同封してあり、心が熱くなった。

聴けば東京の息子のところにも送ってくれたらしい。いつも私たち親子のことを祈ってくださるだけでなく、こういった関わりをしてくださることが本当に嬉しい。教えられることばかりだ。

自分も周りの人のためにできることはするほうだけれど、弱っているときにこうして助けてもらえるのはなんてありがたいことなのだろう。

テレビではその晩ジブリ映画の「コクリコ坂から」の放映があった。東京オリンピックが開かれた1964年の前年の横浜が舞台の「コクリコ坂から」。その頃まだ日本の人々の間に残っていた助け合い、民主主義の気持ちは、今の日本にはたくさんは見られなくなった。正体不明の新型コロナウイルスに脅かされ、戦時中の監視社会が再来している。悲惨な「火垂るの墓」は放映されなくなって久しい。

 

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2020/08/16

♪Holiday in Acapluco

相変わらず車ではユーミンを多く聴いている。

春から働き始めた大学図書館は、渋滞がなければ車で20分もかからない場所にあるのだが、いわゆる通勤時間帯には渋滞がひどく、特に梅雨のころは1時間早く出ても間に合わないほどだったので、音楽のおかげでストレスを溜めずに済んだ。若い頃から気に入っている音楽は、未だにお気に入りである。ユーミンのアルバム「アラームアラモード」はそのうちの一つ。一曲目の♪Holiday in Acapluco は、まさにバブリーな頃の日本のOLが気に入りそうな歌だったなと思う。

今日は夏休み終わりの日曜日。コロナで外出がままならない異常な夏だったので、旅行なし、イベントなし、地味な休暇であった。出かけたところといえば、南阿蘇の温泉とか図書館ぐらい。身体が休まったのできっとよい休日だったのだろう。アカプルコじゃなくてもね♪

休暇が終わると、職場で気の重い個人面談が待っていて、責任のある仕事をしなければならなくなりそうなのだが、物は考えよう。それならそれで、それに見合った給料をもらえばいいのだ。だからこそできる仕事を見つければいいのだ。若者に混じってあくせく働くより、経験を生かして全体をみる仕事をする方がきっと合っているのだから。

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2020/03/31

コロナの時代~突然の明日~

思いがけぬことで人生の落ちるところまで落ち、私は一回死んだ。それから私は、どこをどう見ながら生きていけばいいか手探りのなか、日々のことを当時はやりのブログを書くことで少しずつ元気を取り戻した。このブログはその記録である。

しかし2011年3月の大震災のあと東京から離れたいと九州に渡ってから、すっかり更新できなくなって数年が経つ。その間時はSNSの全盛を迎え、私はしばらくFacebookに写真とともに献立日記を載せて生存していた。移住は想像を超える大変なことだった。悔しくて泣き、しかし新たな友と地元の支援者を得てようやく生活が落ち着いてきたなと思ったら大地震。あれは4年前。それからまたも苦難の日々。仕事に恵まれない一方被災地ボランティア活動に精を出し、生きがいを感じながらなんとか自分らしく暮らせるようになったこの1年。状況は大きく変化した。子どもたちは成長し、それぞれの土地で勉強に励むようになりった。私は結婚前以来の一人暮らしがはじまり、この土地に住み着こうという決心がついたのだが、新たな就職で苦労。なんといってもコロナ直前の病院の救急外来の受付業務をしていたのだ。夜勤ですっかり体調を崩し、もちろんブログどころではなかった。転職しなければ身がもたないと、履歴書を書いてあちこちあたって年があけた。そして迎えた2020年は、それまでとは全く違う年になった。

今日で1年の4分の1が終わるわけだが、新型コロナウィルスという未曾有の疫病蔓延で世の中があっという間にひっくり返ってしまった。それを受け、今私は再びここにあれこれ書き込む気持ちになっている。自分の意思で外に出られるのは、今日が最後かもしれない。いや、あと数日猶予はあるかもしれないが、日本でも感染爆発が止められなくなっている。緊急事態だ。1月末に中国の武漢がこの病気のためにまず封鎖された。その頃私は月末の月に一度の上京に際し、ひとつき後は高齢の母の訪問をできなくなるだろうと思ったことは覚えている。実際2月の上京はパスした。しかし3月春分の日は、予定通り行われた親戚の結婚式のため上京した。高齢の母の付き添うためであった。逡巡の末の披露宴参加のおり、「こんなことしていられる今は瀬戸際」と感じた。帰りがけ目黒川に咲き始めた桜を見上げて、こんな日はもう二度と来ないのだろうなと思った。薄曇りの中見上げた空は、暗かった。311の後よりもっと、暗かった。そしてやはり、その連休を境に日本の雰囲気は一変した。オリンピックはついに延期が決定。コロナ感染者の発表も、日に日に激増していった。昨日はとうとう芸能人にコロナ感染による死者が出たと報道があり、もうまもなく第二次世界大戦の時以上に予測がつかない戦争に日本も突入するようだ。

こうやって「突然の明日」はやってきた。今までは当たり前のことが当たり前でなくなる未来。私は311以来楽しみを先延ばしにすることはやめてきたが、それでも色々な後悔が多い。何より残念なのは、今が念願の大学図書館勤務が始まったばかりのタイミングであることだ。若い頃の夢がとうとう叶い常勤の職員として本に囲まれる幸せを味わえたのに、明日からはどうなるのだろう。不安と心配の春である。

 

 

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2018/01/09

息を吐く

2018年。
正月そうそう腰を痛めた。
何気なく腰を屈めたらギクッ。
娘が小1の時以来である。
用事が立て込んでいるというのに、タイミングが悪すぎる。
まったく身体にも心にも痛みが走る。困った困った。

折しもインフルエンザで一家全滅という友人宅へ、餅を届ける電話を掛けた直後であったので、無理して自家用車を運転し30分。
慎重に足を運び玄関前でドアフォン越しに新年の挨拶。
マスクをした友人が出てきたので餅を渡し、自分もギックリでまいったと話すと、
掛かり付けの鍼灸院を紹介してくれた。。
自分は10日も高熱を出し続けている子どもの看病と自身の咳で疲れているのに、感謝である。
まさに、持つべきものは友。

鍼灸院では応急措置で、とりあえず痛み回避のコツを教わった。
体を動かすときは爪先の向きをずらすこと、腹に力を入れないこと。
その場ではうまくいった。けれどもひとりでは、なかなか難しい。
その晩は友人を温泉に案内した。なんとかミッション遂行後帰宅。
寝床へ直行。が、眠れないのである。
寝返りが打てない。トイレに行くのも一苦労。
牛六時に眠りにつけず、助けも呼べず、布団のなかで悪戦苦闘。
身体の自由が聞かない老人の心境に思いが及んだ。
暗い夜はまだ明けないのか?一体全体、どうして時間が経つのはこんなに遅いのか?

その後2日もハードな研修を受けて、やっと明日鍼灸院に正式予約で行けるのだが、
2日半痛む腰を抱えて体得したことがある。
それは、息を吐いて痛みを手放す、あるいはやり過ごす方法だ。
人間には踏ん張って力を発揮すべき時もあれば、
息を吐いて脱力し、なにがしかのアタックを回避できることもある。
息を吐いて痛みを手放す。
困難を抱え込まないコツ。
これ、どうやら生き方にも応用が利きそうだ。


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2016/11/03

11月に思うこと

  11月になりました。今日は文化の日。国民の祝日のため仕事は休みですが、ちょっとやり残したことがあるので、事務所に寄ってから今日の用事のためにまちへ繰り出そうかと思っています。私は今とあるプロジェクトに参加し、NPOで10月から働いています。待遇が割合いいのと、私の今までの経験を活かすことができる職場なので毎日楽しいです。ここでしばらく働ければ一番いいのですが、年度内に活動がいったん終了するので、来年早々にはまた就職口を探さなくてはいけないのが難点。でも、今後に繋がっていくような気がします。

  この11/6㈰には、熊本地震の被害が大きかった西原村でイベントに参加します。今から天気が気になりますが、ワクワクしています。
 10月は本当に、ずっと父親と祖母に守られているような感覚で過ごしました。 そういえば、南阿蘇のすすき野原に行くこともできたんです。金色の秋の風に吹かれて、穏やかな平和なひとときでした。こんな時間が来るなんて、地震直後には想像もつかなかったです。この半年、よくやってきたと思います。多くの方々のお励ましに感謝の11月がスタートします。

2016

この頃、前の席の先生がお昼になると「今日はどんなお弁当ですか?」と楽しみにしているので、私は手抜きができません。先生は特大の手作り弁当を美味しそうにいつも召し上がっています。私もニコニコ一緒にお弁当をつつきます。 Photo

  こんな風に今月は、いろいろ楽しく過ごせそうでよかったです。

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2016/06/08

2016年3月 岩手へ

今年の3月に、友人を訪ねて岩手県に行きました。盛岡観光ガイド→☆

岩手県では今年国体があるそうで、あちこちでわんこそばのキャラクタ―がついたポスターを見かけました(→☆ )。でも私は同じ名物でもわんこそばではなく、じゃじゃ麺に挑戦。白龍(バイロン)のカワトク分店にお邪魔しました。美味しくて楽しかったです。平民宰相・原敬生家近くにある鉈屋町に泊まったのもいい思い出。 →盛岡町屋体験宿泊  

翌日は小雪が舞い寒い寒い朝でした。熊本では桜が咲いているのに、東北はまだまだ春は遠いと思いました。私は車に乗せてもらい、盛岡から遠野を通り釜石へ。時は春の選抜野球大会。21世紀枠で出場した釜石高校の応援で、町は盛り上がっているようでした。町は東日本大震災から5年で、随分元気を取り戻したように見えましたが、私たちはさらに進んで大槌町()へ。

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大槌町は、浜辺から見えるところに蓬莱島というひょうたん形の島がある、三陸の小さな町でした。ここはあの東日本大震災の大津波によって、町が根こそぎ破壊されてしまいました。あれから5年。これが今の大槌町の写真です。墓地がある丘から全景を写しました。中央に多くの行方不明者を出した役場が、そのままの姿で建っているのをみとめられます。山の方の仮設住宅には、今なお多くの方がお住まいだと聞きました。盛岡から沿岸部へゆく道も整備され、国体のための工事が盛んな岩手県ではありますが、暮らしが元通りにならない人たち取り残されたようになっていることに、私は少なからず衝撃を受けました。~案内してくださった方のあの日の記憶を、途中休憩した遠野の風の丘で伺いました。誰にでも一人一人のかけがえのないストーリー(物語)があるということを、しきりにおっしゃっていました。~津波に飲まれた人もそうでなかった人も大きな傷を負い、それを抱えたまま暮らしている現実は辛すぎます。この土地で幽霊の話がよく聞かれるというのも、うなずけます。

歴史をひもとけば、これまで何度も津波が襲った町に、いくら土地をかさ上げするとはいえまた同じ町を建設することの是非が、検討されなければならないでしょう。震災を機に人々の心を押しつぶした瓦礫は、今はもうありません。あの瓦礫広域処理騒ぎはなんだったのでしょう。九州で聞いた話と、東日本大震災の被災地で感じたことには、随分隔たりがあると私は思いました。

駆け足の旅でしたが、最後は光原社を案内していただき満足しました。光原社といえば宮沢賢治。この絵本、私はそういえば持っています。

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盛岡や遠野は、若い頃から一度は訪れてみたい場所でした。今回はそれらのほかに友人のはからいで、遠い大槌まで足を延ばすことができ、現地で被災者支援をしている方々とも知り合うことができました。たった一泊でしたが、忘れることのできない旅になりました。というのはこのあと4月に、私は思いかけず熊本地震を経験することになったからです。

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