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2006年9月25日 (月)

きらりの意味

「純情きらり」がいよいよ最終週。視聴率がいいようで、朝日新聞に数日前に記事がのったり、今日のテレビ欄にも紹介があった。ネタバレであった。それによると、どうやらとって付けたような終わりかたになってしまいそうで…。

とうとう桜子は原案のように、結核になってしまった。しかし、妊娠しているし味噌屋の女将が結核になったのに病院ではなく自宅療養っていうのが、どうしても不自然だと私は思ってしまう。しかも、当主である達彦が看病っていうのも…。ありえないと思う…。裕福な味噌屋なんだから、病院にいれないはずはないのになあ。こういう嘘くさい設定は、ドラマだからと見過ごせる場合と見過ごせない場合とあり、私はどうしても見過ごせない。

中止になった演奏会に招待していた元教え子からの葉書は今日紹介されたけれども、西園寺先生は?一般客は?誰がどう説明して中止したのかしら…。何も当日に倒れなくたっていいじゃない。病院からふらふらと店先にもどったのを迎えた店の者たちは、奥に布団をひいてますで、なんて軽い調子でね。演奏会を中止するほど具合の悪い結核患者なら、絶対私なら入院させます!!!しかも、妊婦に何度もX線でレントゲンをとっている。大丈夫?

結核だとわかって達彦がそれを桜子の姉・笛子と杏子、そして義兄の杉冬吾に知らせたのが岡崎だったのだけど、そのあとしばらく養生したあと東京から勇太郎が久しぶりに登場して見舞いに来た際、銀座で開かれた杉冬吾たちの展覧会が好評で、という新聞記事を見せるところも変。さっきまで冬吾が出ていたじゃん、おかしいよ、と私は思ってしまう。

それから「純情きらり」というタイトルが私にはぴんとこないとブログのはじめに書いたけれど、「きらり」の部分は桜子が命とひきかえに産んだ子に願いをこめてつけた名前「輝一」で説明がつくとして、「純情」のほうは?どこが純情なのか、さっぱりわからないのである。とことん不幸では辛すぎるけれど、中途半端にしあわせだっただけで、あとはとことん不幸なのは、生きる希望を視聴者に与えるとは私は思えない。不幸だけれどもこんな生き方もあったんだよと思わせるには、とって付けたようなエピソードを並べるよりも、明るいテーマ音楽よりも、かわいいあおいちゃんの笑顔よりも、演技力のある魅力的な俳優たちよりもなによりも、筋の通った脚本が大事だったんじゃないだろうか。生と死が描きたかったのか、音楽が描きたいなら味噌屋の話はないほうがよかったし、味噌でいくなら音楽は趣味程度にしておけばよかったし、どっちつかずでテーマがてんこもりで、無理がありすぎた。ざんね~ん。

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コメント

ののかさん、こんにちは。
鋭い分析ですね。私は、ちゃんと見てないので(朝食の用意中)、よくわからないのですが、ののかさんが、お書きになったことには、「そうだ、そうだ」と納得できます。
私も、先週の金曜日ころの放送で、桜子が妊娠していることを、看護婦(師)が伝えたときは、ちょっとなあ、と思いました。医者しかいえないことですよね。
ストーリーがよければ、多少の矛盾は気にならないものですが、あまり多くなると、感情移入もしづらくなりますね。
最終週は、どんな終わり方をするのか、なんとか見届けたいと思っています。

投稿: ミント | 2006年9月25日 (月) 10時22分

ミントさん、読んで気持ちの良くなる記事ではないと思ったのですが、つぃつぃ書いてしまったんです、私。コメントありがとうございます。
最初これだけ楽しみにしていたので、私も最後は見届けようと思っています。
けれどとにかく暗すぎるので、この次の田辺聖子のお話(藤山直美主演)が明るそうだから楽しみにしているんですよ~。

投稿: ののか | 2006年9月25日 (月) 18時19分

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