蹴りたい背中
私はまだ、綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだことがない。題名が嫌だ。読みたくない。
この間、22歳の男がある事件でつかまった。早朝にバイクで駅前を走っていたら路上生活者がふらふらと前を横切ったのを腹立たしく思い、追い抜きざまに蹴り倒し、男性を死亡させたのである。防犯カメラの画像から、4ヶ月で犯人逮捕にいたったわけだが、私はその動機があまりにも未熟であるために、憤りを隠せない。何をそんなにイラついたのか。赤の他人をそんなことで、まさか殺すつもりはなかったろうが、どうして勢いをつけて蹴るなんてことができるのか。
その昔、渋谷のスクランブル交差点を歩きながら、ぶつかってくる人に向かってぶつぶつ文句を言っていた私。あまりにも育児にてこずり、子どもの背中を軽くだけど蹴ったことのある私。今だってどうしようもないことがあると、イライラして大声を出す私。
こんな私が言えるようなことではないけれど、でもでもやっぱり、背中は蹴るためにあるのではない。人の背中はその人の人生を表しているのだから、大切にしなくてはいけない。過去の自分の罪を悔やみながら、これからは私は、背中を大切にする生き方をしたいと思った。
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コメント
yuzukiさんへ。
大丈夫。
神様が見えない手で、頑張ってるあなたの背中をいつもなでなでしてくれてますよ。
投稿: ののか | 2007年10月17日 (水) 06時18分
そうそう、親は背中を見せるんですよ。
すっと一本通ったところをね。男も女もそこは同じはず。
武道にある"自然体"でいきましょうや、、。
投稿: sada | 2007年10月17日 (水) 13時20分
sadaさんへ。。
背中は嘘をつきませんからね~。
子どもはありのままの私を見ているのでしょう。
開き直るしかありません。。。
投稿: ののか | 2007年10月17日 (水) 20時22分