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2008年6月 8日 (日)

シークレット・サンシャイン

昨日は六本木まで、「シークレット・サンシャイン」を観にいった。何日か前に究極の愛の映画を観たいと思い、イ・チャンドン監督の「オアシス」(2002年)を借りて観て感動したばかりだったので、同じ監督の5年ぶりの新作が封切りと知り、いてもたってもいられなかったのである。

韓国映画の「オアシス」は、俳優たちの真に迫る演技と厳しい現実のなかで愛をはぐくむ男女の姿が心に焼き付いて離れない、とても質の高い映画だ。前科者で粗野で乱暴なため家族から嫌われている男と、脳性麻痺の女。言い訳をしないから誤解されているが実は優しい「将軍」と、純粋な普通の思考を持っている「姫」が次第に理解を深めていく様子は、辛くてしんどいけれども希望がもてる。しかし同じ監督の次回作「シークレット・サンシャイン」は、とにかく辛い。愛の次元が違うのである。

蜜陽(ミリャンと読む。漢字の意味から、シークレット・サンシャインという映画タイトルに…)という町に、不幸な結婚の末に夫を亡くしたシングルマザー・シネがソウルから越してくる。ピアノ教室を開いた彼女は、子連れの不幸な女として町の噂になる。自動車修理工場の社長で独身男・ジョンチャンが何かと助け舟を出してくれるが、彼女の心はびくとも動かない。彼女は「不幸」と思われたくないから見栄を張る。土地を買って家を建てようと思うけど、いい物件はないかしら?などと言いふらす。その嘘が、想像もつかない事件へその母子を巻き込んでいくとも知らず。悲劇が起こる。悲劇は映画の前半に、あっけなくやってくる。問題は後半だ。(以下ネタバレです

彼女は悲劇を受け止め切れない。もう十分不幸を味わい、最後の力を振り絞って亡夫の故郷で再出発をしようとしていたのに、最愛の息子が誘拐犯に殺される。「なぜ?どうして?」彼女には人生の意味がわからない。心は弾力を失い、のびきったゴムのようになっている。そして慰め寄り添おうとする男ではなく、イエスをあがめ賛美するキリスト教の信徒たちをその心は受け入れた。彼女は熱心に集会に通い、主をあがめ賛美し、すべてを神に委ね救われた。涙を流して賛美歌を歌い、自分の息子を誘拐して殺した犯人を許そうとまでする。

塾の講師だった男は、シネの一人息子を誘拐して殺害した罪で刑務所にいる。教会の牧師や信徒とともにシネは、犯人と面会するため刑務所にやってくる。しかし一大決心をしてシネが許しを伝えにきたというのに、こともあろうか犯人は平安に満ちた顔で「自分は神を受け入れ、懺悔をし、罪が許された。」と言うのである。それを聞いたときのシネのこわばった表情に、同行者たちは誰も気づかない。刑務所を出たところでシネは気絶し、その日を境に彼女は狂気へ走ることになる。再び大きな怒りと悲しみの波にうちのめされたシネは、信者の集会を妨害して「それは嘘だ。」という歌を大音響で流したり、長老を誘惑して関係を持とうとしたり、祈祷会の行われている教会の部屋のガラス窓を割る。そして終には手首を切って、血まみれで表に飛び出し「助けて。」と言う。彼女の痛みは簡単に癒されるものではない。耐えても耐えても、救いは簡単には訪れない。けれど私は、彼女が発した「助けて。」という言葉が、彼女のターニングポイントになったと、映画を観終わってじっくり一晩考えて思えてきた。

映画ではこの先もうひとつの山場がある。シネは精神病院から退院するとき、ジョンチャンに手伝ってもらう。着ているワンピースは彼に用意してもらったものだが、特別な感情はいまだに抱けない様子。帰り道に髪を切りたいとシネが言ったので、ジョンチャンはたまたま通りがかった美容室に入る。そこで意外にもシネの担当として奥から現れたのは、殺人犯の娘だった。しばらく見つめあう二人。娘は犯罪者の娘として世間からはじかれ、少年院に入り、出所後技術を買われて店で働き出したところだった。痛々しいその姿を見て、私はシネに期待した。少女の心の重荷を下ろすために声をかけるのではないかと。しかしシネは半分ほどカットが終わったところで、突然店を飛び出した。そしてあわてて追いかけてきたジョンチャンに、「何で今日なの?なんでこの店でなければならなかったの?」と問う。そして取り乱したまま息子と暮らした家に戻ったシネは、履きなれた下履きで午後の庭に出て、おもむろに埃だらけの椅子に腰掛け、切りかけの髪を自分の鋏でカットする。遅れて到着したジョンチャンは、またも彼女のことを見守るしかない。果たしてこの先二人の心の距離は、近づくのだろうか?

私はクリスチャンだから、この映画の投げかけた問いが鋭く胸に刺さった。神はいるのか?願いがかなわないのは何故なのか?どこに救いがあるのだろうか?答えは簡単には見つからないけれど、映画の後味は決して悪くない。救いようのないストーリーにもかかわらず、何故か絶望から希望が垣間見えた。不幸なシネがまさにどん底を味わった後、きっと立ち上がる力を回復するであろうという予感を誰もに感じさせるラスト。…平凡なありきたりな生活の中に、人間が復活する力は隠されている。まるで何事もなかったように降り注ぐ、穏やかな陽射しのように。

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コメント

コメントありがとうございます。

難しい映画です。
重いですが、オアシス同様、心に染み付いてはなれないのです。

今朝はスペイン映画の「蝶の舌」を見ました。名作は心を豊かにします。
癒されました。

>人の心の傷はそんなものじゃ埋まりませんな。
>。。。。答えは出そうにもなく、忘却のかなたにおいやることがよいようで。。。

>時の恩恵にすがることに~

投稿: ののか | 2008年6月17日 (火) 22時14分

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